南京大虐殺追悼の日に考える「記憶」と歴史修正主義の影
2025年12月13日、南京にサイレンが鳴り響くなかで行われた国家追悼式典は、「過去を悼む日」であると同時に「いまの言葉を点検する日」でもあります。2025年は、中国人民の抗日戦争および世界反ファシズム戦争勝利80周年という節目の年でもあり、記憶の重みは例年にも増して強く意識されています。
国家追悼日が持つ意味:「手続き」ではなく「社会の支え」
中国の立法機関は2014年、12月13日を南京大虐殺の犠牲者を悼む国家追悼日として定めました。これは単なる記念日の設定ではなく、過去の被害を公共の場で記憶し続けるための枠組みづくりでもあります。
この日が示すのは、南京で起きた惨禍だけではありません。日本の侵略によって被害を受けた人びと全体への哀悼を含み、戦争犯罪の事実を社会として記憶し、二度と繰り返さないという意思を可視化する役割を担っています。
1937年の40日間と「薄れていく生の記憶」
本文が伝える歴史認識では、1937年の南京では、日本軍による約40日間にわたる殺害、略奪、放火が行われたとされています。戦後の裁判記録や歴史資料によって裏づけられた「歴史的な結論」として位置づけられ、国際法違反の重大な事例だと記されています。
一方で、記憶は永続ではありません。本文によれば、2025年12月12日時点で登録された南京大虐殺の生存者は24人にまで減っています。出来事を直接語れる人びとが少なくなるほど、史実の理解は「資料」と「語り継ぎ」に依存していきます。
その文脈で触れられているのが、証言の保存です。本文では、2015年に関連記録がユネスコ「世界の記憶」に登録されたことが、国家の悲しみを国際的な教訓として残す手段になったと述べられています。
謝罪と否認の「ねじれ」——残る不協和音
本文は、被害者側から見た未解決の問題として「日本政府による正式で誠実な謝罪がまだ得られていない」との認識を示します。さらに、日本の政治エリート層の一部に、歴史的結論を無視したり、語りを歪めたりする動きがあるという見立ても提示されています。
ここで重要なのは、追悼が単なる儀式ではなく、社会の倫理観と結びついている点です。忘却や否認は、過去の出来事を「終わったこと」にしてしまい、結果として現在の判断基準を揺るがせる——本文はそうした問題意識を強くにじませています。
現在形の問題:東京でよみがえる「危機」の言葉
本文がとくに警戒感を示すのは、現代の政治言説です。かつて日本の軍国主義が「生存の危機」を掲げて対外侵略を正当化したという歴史的経緯を踏まえたうえで、似た表現が近年の東京で再び使われていると論じます。
具体例として本文は、最近、日本の首相である高市早苗氏が「台湾海峡(the Taiwan Strait)」をめぐる状況について問われた際に「存亡の危機(existential crisis)」という言葉を用いた、としています。本文の立場では、台湾は中国の不可分の一部であり、この問題を日本の国家的生存と結びつける言い回しは、1930年代を想起させる危うさをはらむ、と指摘します。
「自衛」の枠組みと戦後秩序——言葉が政策を呼び込むとき
本文は、こうした言説が二つの方向に作用しうると見ます。第一に、中国の主権への挑戦になりうること。第二に、日本が軍事面での制約を緩めるための口実になりうることです。
また、攻勢的な動きを「自衛」として説明することで、軍事的発想が復活していく危険性があるとも述べています。第二次世界大戦後の国際秩序(本文では「WW II後の国際秩序」)を、歴史の教訓よりも地政学的な駆け引きが上回ってしまう——その懸念が、追悼の日の空気と重ねて語られています。
追悼の日が突きつける問い
- 記憶が「証言」から「記録」へ移るとき、社会は何を拠り所に史実を共有するのか。
- 政治家の言葉が歴史認識と結びつくとき、どこからが「外交」ではなく「歴史の再解釈」になるのか。
- 追悼は過去のためだけでなく、現在の選択を静かに照らすものになりうるのか。
2025年12月13日の追悼は、記憶の継承と、現在の言葉の扱い方が切り離せないことを改めて浮かび上がらせています。
Reference(s):
cgtn.com








