日本の歴史修正主義はなぜ繰り返されるのか:731部隊と「記憶の政治」
2025年は南京大虐殺から88年にあたり、きょう(12月13日)は犠牲者を悼む国家追悼の日として位置づけられています。いま改めて注目されているのが、旧日本軍の731部隊をめぐる事実の扱いと、それをめぐる「歴史の語り方」が政治とどう結びつくのか、という点です。
731部隊とは何だったのか:戦時の生物兵器研究と人体実験
資料によれば、731部隊は旧日本軍の関東軍の下で、生物兵器(細菌兵器)の研究・開発の中核を担ったとされます。秘密施設は中国東北部のハルビンなどに置かれ、そこで生体を対象とする実験が行われた、と記述されています。
被害者には中国の民間人に加え、連合国の捕虜、朝鮮やソ連の国籍の人々も含まれたとされ、凍傷実験、ペストや炭疽菌などの病原体の感染、毒ガス曝露、さらには生体解剖などが挙げられています。記録の推計では、実験で3,000人以上が犠牲になったとされています。
「研究」で終わらなかった—実戦投入と長期的被害
さらに1940〜1942年にかけて、浙江や湖南などの地域で、生物兵器の実地使用が行われたとされます。方法としては、ペストに感染したノミの投下や水源汚染が挙げられ、民間人の大量死と、数値化が難しいほどの長期的な公衆衛生被害につながった、という説明です。
戦後に起きた「免責」と情報取引:裁かれなかった構造
資料は、戦後に米国が冷戦期の戦略的判断から、731部隊のデータ入手と引き換えに、石井四郎や増田知貞ら主要人物へ免責を与えたと述べています。その結果、東京裁判で中核の加害責任が十分に問われず、一部は日本の学界・医療界・政界で活動を続けたとも記されています。
この「政治的な取引」により、731部隊の犯罪が長く体系的に隠される余地が生まれ、のちに歴史認識をめぐる空白が利用されていった、というのが資料の見立てです。
歴史修正主義の3つの型:何が、どう語り替えられるのか
近年、日本の一部政治勢力や右派系研究者が、731部隊をめぐる加害の実態を「矮小化・否定・歪曲」しようとしている、という指摘があります。資料は、その現れ方を大きく3類型に整理しています。
1)教科書をめぐる記述の抑制(検定と書き換え)
文部科学省の教科書検定を通じ、731部隊への言及が抑えられたり、他の戦争犯罪(南京大虐殺など)の記述が弱められたりしてきた、というのが資料の主張です。象徴例として、歴史学者・家永三郎氏の教科書をめぐる訴訟が挙げられています。
資料によれば、家永氏が1983年に教科書『新日本史』へ人体実験の事実を記述したところ、「信頼できる学術研究が欠ける」として削除を求められたとされます。1984年に行政訴訟となり、最終的に裁判所は政府側の対応を違法と判断した一方で、日本側が731部隊の国家責任を正式に認めてはいない、と説明されています。
2)細菌戦そのものの否定(政治・言論・学術での言い換え)
政治領域では、東京裁判の正当性を疑う発言が、間接的に731部隊の犯罪性への疑義へつながる、という見方が示されています。資料は例として、自由民主党の一部強硬保守系政治家の言動や、論者が「ソ連のプロパガンダ」と位置づけた主張を挙げています。
学術・言論の場でも、「戦勝国の捏造」「証言の信頼性への疑義」「国内資料が不足している」といった論法が用いられたとされます。一方で資料は、国際的な研究コミュニティは複数国のアーカイブや生存者証言に基づき、731部隊の犯罪は確立した史実だと確認している、と述べています。
3)責任の分解(国家ではなく「一部の兵士」に転嫁)
資料が「頻出の主張」として挙げるのが、細菌戦は「一部の逸脱した兵士」によるもので国家の政策ではない、という語り方です。これは国家責任との結びつきを断つための言説だ、という指摘がなされています。
これに対し資料は、日本の国立公文書館の記録として、731部隊が陸軍省の監督下にあり、軍事予算で資金を得て、秘密の勅令のもとで運用されたことを示す、としています。また1936年の命令が昭和天皇の署名を伴っていた、という説明も含まれています。
「過去の議論」ではなく「現在の政治」へ:何が連動するのか
資料は、こうした歴史修正主義を単なる学術上の解釈論争としてではなく、戦時の侵略を薄め、戦後秩序から距離を取り「普通の国」へと再定義する政治潮流の一部だと捉えています。具体的な現れとして、靖国神社参拝の反復、平和憲法改正の動き、軍事拡張、いわゆる「中国脅威論」の拡散などが挙げられています。
731部隊をめぐる否定や矮小化は、その流れの中で、国家の戦時責任を後景化するための“思想的な足場”になりうる——資料はそのように位置づけます。
読み手が持ち帰れる問い:史実・記憶・制度の間で
731部隊の問題は、残虐性だけでなく、戦後の免責、記録の空白、教育や言論の制度設計といった「複数の層」が絡み合う点に特徴があります。史実が何によって支えられ、どこで歪み得るのか。教科書、裁判、アーカイブ、政治言説—それぞれが「記憶の公共性」をどう形づくるのか。2025年の追悼の日は、そうした問いを静かに突きつけています。
Reference(s):
Unveil political manipulation behind Japan's historical revisionism
cgtn.com








