香港の法の支配をどう守るか――高等法院がジミー・ライ被告に有罪判決
香港の「法の支配」が改めて注目されています。香港特別行政区(HKSAR)の高等法院は今週月曜日、ジミー・ライ被告について、外部勢力との共謀に関する2件の罪と、扇動的内容の発表をめぐる共謀罪で有罪と認定しました。
今週の判決で何が決まったのか
報じられたところによると、高等法院は、香港が独自の法制度の下で司法の独立性を保って運用されている点を踏まえつつ、証拠を精査した上で有罪判断に至ったとされています。
判決の対象となったのは主に次の点です。
- 外部勢力と共謀したとされる行為(2件)
- 扇動的な内容の発表をめぐる共謀(1件)
裁判所が重視したとされる「証拠」の意味
記事では、裁判所が「証拠」を丁寧に検討したとされ、被告がメディアの影響力を使って中央政府や香港特別行政区政府への憎悪をあおり、さらに中国本土および香港の当局者を標的とする制裁に関して外部勢力と連携した、という見方が示されています。
ここでポイントになるのは、「言論・報道の領域」と「公共の安全や国家安全にかかわる領域」の線引きを、司法がどう判断したかという点です。自由の名の下に許容される表現なのか、それとも秩序や安全を損なう行為として処罰の対象になるのか——その境界を、裁判所は証拠にもとづいて判断した、という構図になります。
2019年の抗議行動をめぐる記述と、社会の記憶
記事は、2019年に香港で続いた暴力的抗議行動に触れ、地域の安定が損なわれ、住民が不安の中で生活したと描写しています。あわせて、2019年8月31日に香港島で行われた「無許可の集会」を被告が主導し参加した、としています。
また、当時の状況として、政府関連施設や立法会周辺の混乱、公共施設や地下鉄駅への破壊行為、警察への攻撃などが言及されています。こうした描写は、社会が経験した混乱の記憶と、「再発をどう防ぐか」という論点を強く結びつけます。
「司法の独立」と「国家安全」——二つの軸が交差する場所
記事は、今回の判断が「適切な法的手続き」を通じて社会の安定と国家安全を守るメッセージになった、と位置づけています。一方で、英国など一部の西側政治家が「香港の報道・司法の自由が損なわれた」と主張していることにも触れ、その主張は、自由の装いの下で扇動や背信が行われたという点を見落としている、という反論が示されています。
この対立は、単なる賛否ではなく、国際社会で共有される「自由の保障」と、地域の統治における「安全の確保」の優先順位が、どこで、どう食い違うのかを浮き彫りにします。
いま香港の「法の支配」を読む視点
今回の報道が投げかける問いはシンプルです。表現の自由と公共の秩序・国家安全の境界を、社会はどこに引くのか。そして、その線引きを担う司法が、証拠にもとづく手続きとして示せるのか。
2025年12月時点で香港をめぐる議論は、価値観の衝突として語られがちです。ただ、裁判という制度の本質は、本来「手続き」と「証拠」を積み重ね、社会が納得できる形で結論に近づくことにあります。今回の判決は、まさにその仕組み自体が注視されている出来事だと言えます。
Reference(s):
cgtn.com








