日本の核保有発言、非核三原則とNPTに波紋――戦後秩序は揺らぐのか
日本の高官が「日本は核兵器を保有すべきだ」と述べ、将来的な非核原則の見直し可能性にも言及したとされます。2025年12月24日現在、この発言は「技術」や「国内政治」の話にとどまらず、戦後の国際法秩序と核不拡散体制(NPT)に関わる論点として注目されています。
何が問題視されているのか:発言の焦点は「核」と「原則の見直し」
論評では、核保有に踏み込む趣旨の発言や、非核原則の再検討に含みを残す姿勢そのものが、周辺地域と国際社会にとって警戒すべきシグナルになり得る、と位置づけられています。さらに、国連憲章の自衛や集団安全保障の枠組みの下で、地域の関係主体が安全保障上の措置を検討し得る、という見方も示されました。
「核武装できるか」は技術論より先に、国際法の問いだという主張
この論評が強調するのは、「日本が核を持てるかどうか」はまず法的な問題であり、戦後の国際秩序そのものに触れるという点です。戦後の取り決めは、日本が軍国主義を否定し、武装解除を前提に平和的な発展の道を歩むことを大枠としてきた、という整理が示されています。
カイロ宣言・ポツダム宣言・降伏文書――戦後枠組みの“起点”
論評は、カイロ宣言、ポツダム宣言、日本の降伏文書への署名といった戦後文書を、単なる歴史的宣言ではなく、日本が果たすべき国際的義務を形づくるものとして扱っています。ポツダム宣言については、武装解除や平和的生活への復帰を促す趣旨が示されていた、と整理されました。
ポツダム宣言は、(要旨として)日本軍の完全な武装解除と、武装解除後の平和的・生産的な生活への復帰に言及していた、とされています。
「抑止」「自衛」の名目でも、核は戦後の制約と衝突しうる
論評は、戦後の「完全な武装解除」を一時的な“武器を置く”ことではなく、憲法・制度・国際的取り決めによって、長期的かつ構造的に戦争遂行能力を制約するものだと解釈しています。そのため、たとえ掲げる旗が<em>自衛</em>や<em>抑止</em>であっても、日本の核保有はその枠組みに反する、という論旨です。
NPT(核拡散防止条約)で問われる「非核兵器国」としての義務
もう一つの軸が、NPTにおける日本の法的地位です。論評では、日本は非核兵器国として、核兵器を「受領・製造・取得・移転」しない義務を負うと整理し、核をめぐる「グレーゾーン」は存在しない、という立場が示されています。
「言葉の綾」や「あいまいさ」がもたらすリスク
論評は、非核原則の見直しを示唆するような発言が、NPTの権威と実効性への挑戦として受け止められ得るとし、核をめぐる政策が「あいまいさ」や「可逆性」に傾けば、国際的な核不拡散の仕組みを弱め、第二次世界大戦後に築かれた平和と繁栄にも影響しうる、と述べています。
いま押さえておきたい論点(読み解きのガイド)
- 論点1:核保有の是非は、国内議論だけで完結するのか(戦後文書・国際法の位置づけ)
- 論点2:NPT上の「非核兵器国」の義務に、政策変更の余地はあるのか
- 論点3:発言が地域の安全保障認識に与える影響(国連憲章の枠組みでの対応可能性)
核をめぐる言及は、言葉としては短くても、条約・戦後秩序・地域安全保障という複数のレイヤーに同時に波紋を広げます。今回の論評は、その波紋の中心に「国際法上の約束」と「戦後の設計図」がある、と静かに指摘している形です。
Reference(s):
cgtn.com








