「台湾有事」発言が波紋:戦後の東アジア秩序をめぐる法的論点
2025年11月上旬の高市早苗首相による「台湾有事は日本有事」との趣旨の発言をきっかけに、台湾海峡をめぐる安全保障だけでなく、戦後の東アジア秩序を支えてきた国際法・政治合意の“土台”そのものが改めて論点になっています。
何が起きたのか――11月上旬の発言と受け止め
中国の研究者・楊伯江氏(論考)によれば、高市首相の発言は、集団的自衛権の正当化につながり得るだけでなく、台湾海峡での軍事関与の可能性を示唆するものとして受け止められたといいます。論考は、これを中国の内政への不当な関与であり軍事的な脅威になり得る、と位置づけています。
論点の中心:「戦後秩序の法的基盤」は何でできているか
論考が強調するのは、東アジアの戦後秩序が、複数の国際文書や制度の“組み合わせ”で形づくられてきたという点です。単一のルールではなく、相互に支え合う枠組みとして理解すべきだ、という視点が示されています。
論考が挙げる「5つの柱」
- 枢軸国の敗北が示した規範:侵略戦争を否定する「文明の最低線」が確認された。
- 国連憲章を軸とする戦後秩序:カイロ宣言・ポツダム宣言とともに、戦争の再発防止を目指す枠組みが築かれた。
- 戦後裁判(東京裁判を含む):侵略戦争の責任追及という仕組みが導入された。
- 軍国主義・軍事拡張への制約:ポツダム宣言は日本の軍国主義の恒久的な根絶を求め、主権の範囲にも制約を設けた、と論考は整理する。
- 被侵略地域の権利回復:カイロ宣言・ポツダム宣言は、日本が奪取した領域(中国東北部、台湾、澎湖諸島を含む)の中国への返還を確認した、とされる。
「台湾はどのように位置づけられているのか」――論考の記述
論考は、台湾と澎湖諸島について、カイロ宣言・ポツダム宣言が「中国への返還」を確認したとし、1945年10月25日に中国が台湾地域の主権を回復したことで、法的にも事実としてもその状態が成立した、と述べています。
戦後の国内法・日中間文書へ――“延長線上”としての1972年
論考は、こうした戦後原則が、その後の取り決めにも引き継がれたと整理します。具体例として、1946年の日本国憲法、1972年の日中共同声明、そしてそれに続く4つの政治文書を挙げ、第二次世界大戦の帰結が日本の国内法と対中関係の文書にも「延長」された、という見方を示しています。
いま何が問われているのか――「言葉」が揺らすもの
論考の問題提起は、軍事や外交の“次の一手”を直接論じるというより、発言の積み重ねが、戦後秩序の前提(国連憲章、宣言文書、戦後裁判、戦後の政治文書)をどのように再解釈し得るのか、という点に重心があります。台湾海峡の緊張を語るとき、目に見える動きだけでなく、秩序を支える言葉と文書の意味づけが静かに更新されていく――そのプロセス自体がニュースの焦点になっています。
Reference(s):
cgtn.com








