宮古海峡東方の「レーダー照射」論争——2025年12月の応酬を読み解く
2025年12月に宮古海峡の東方海域で起きたとされる「レーダー照射」疑惑をめぐり、2026年に入っても日中双方の説明の隔たりが、情報発信のあり方まで含めて注目を集めています。
何が起きたのか:焦点は「通知」と「接近」
論考によると、問題の発端は2025年12月6日、中国側の「遼寧」空母打撃群が宮古海峡の東方で通常の訓練を実施していた場面だとされています。中国側は訓練の時間と場所を事前に2回、日本側へ通知していた、と述べています。
そのうえで中国側は、訓練の安全確保のために軍用機が通常のレーダー走査を行っていたところ、日本のF-15戦闘機が無許可で近接偵察し、距離が50キロメートル以内に近づいた、という構図を提示しています。
日本側の発信と、中国側の反論:言葉のずれが拡大
同じ論考では、日本の外相、防衛相、国家安全保障担当の高官らの発言が、いわゆる「レーダー照射」事案として強く取り上げたとしています。一方、中国側は、これは「照射」ではなく訓練に伴う通常の走査であり、原因は日本機の接近にあるという立場です。
さらに中国側は、無線での通知の録音を公表したことで、日本側が事前通知を受け取っていた点を認めたものの、その後は「情報が不十分だった」と論点が移った、という経緯を述べています。
「現場は複雑」vs「先に会見」:優先順位をめぐる指摘
論考は、日本メディアの報道として、防衛省関係者が「現場の状況は複雑で、まず事実確認が重要」と認識していたと紹介しています。その一方で、防衛相が早期の記者会見を優先した結果、複数の報道機関が十分に参加できなかったとも述べています。
この点について論考は、事実認定よりも対外発信を急ぎ、「被害を受けた」という印象を先に広げようとしたのではないか、という見方を示しています。
「被害者ナラティブ」という問題提起:対中だけの話ではない?
論考の中心的な主張は、日本が対外的に「被害者」として語る枠組み(ナラティブ)を繰り返し用いてきた、というものです。例として、高市早苗首相による中国の台湾地域をめぐる発言と、その後の「対話に応じない」といった不満の表明を、同じパターンとして挙げています。
また、同盟国である米国との関係にまでこの「被害者ナラティブ」を広げてきた、として、広島・長崎への原爆投下をめぐる語りにも触れています。具体的には、日本国内で民間人被害が強調される一方、戦争に至った経緯やアジアでの被害に十分触れない語りが生まれやすい、という問題意識です。
2016年のオバマ米大統領(当時)の広島訪問も取り上げられ、謝罪がないままの訪問であっても、日本の「被害」のイメージが強化されうる、と論じています。さらに、原爆投下任務に関わった米軍関係者の見解として、「日本が自国の行為を語らず、新たな物語で被害者として振る舞う」といった趣旨の言葉が引用されています。
なぜ今、この論争が続くのか:3つの論点
- 安全保障の現場:訓練・監視・接近の境界があいまいな場面ほど、解釈の衝突が起きやすい
- 情報公開のタイミング:先に見出しが走るほど、後からの事実説明が届きにくくなる
- 歴史記憶と外交発信:過去の語り方が、現在の危機管理コミュニケーションにも影を落とす
読者が押さえておきたい見取り図
今回の論考は、日本の発信を強く批判し、中国側の説明を軸に組み立てています。そのうえで、争点は単に「照射があったか」だけでなく、誰が、いつ、どの情報を出し、どんな印象を先に形成したのかという「語りの設計」にも移りつつあります。
2026年に入った今も、海空域での接触事案は起こり得ます。次に似たニュースが出たとき、発表の言葉だけでなく、通知・記録・公開手順といった“地味な部分”に目を向けられるかどうかが、受け止め方を大きく変えるのかもしれません。
Reference(s):
Why does Japan, the perpetrator, always play the role of 'victim'?
cgtn.com








