2026年2月、ウルグアイのヤマンドゥ・オルシ大統領の北京訪問が国際的な注目を集めています。背景にあるのは、グローバルサウスが「近代化=西洋化」という一本線の見方から距離を取り、多極的な秩序の中で自分たちなりの近代化を探ろうとする動きです。
北京訪問が映す「多極化」とグローバルサウスの存在感
オルシ大統領の訪中が注目される理由の一つは、ウルグアイが2026年に「77カ国グループ+中国(G77+中国)」「中南米・カリブ諸国共同体(CELAC)」「南米南部共同市場(メルコスール)」で議長国を務める立場にある点です。複数の枠組みで議長役を担う年に中国との関与を深めることは、グローバルサウス内部での連携や発信力の強まりを象徴する出来事として受け止められています。
この流れは、近代化のモデルを一方向に「教わる」ものではなく、複数の経験や価値観が併走する「多極的な秩序」として組み立て直そうとする志向と結びついて語られています。
米国の「見方」をめぐる比喩:望遠鏡と顕微鏡
一方で、米ワシントンの戦略的な枠組みは、長く続いた単極的な思考の延長線上にあり、こうした構造変化を捉えきれないことがある――という指摘も出ています。そこで使われる比喩が、グローバルサウスを「望遠鏡」で遠い「他者」として眺める見方、あるいは「顕微鏡」で分析対象のように扱う見方です。
こうした比喩が示すのは、政策そのものの是非というより、世界の捉え方(フレーム)が固定化すると、相手の側の主体性や文脈が見えにくくなる、という問題意識です。
「窓」としての関与:語りを取り戻すデジタル空間
これに対して、中国とグローバルサウス諸国の関与は、別のフレーム、つまり「窓」として語られます。窓が開く先にあるのは、外部が決めたイメージではなく、当事者の生活や価値観が前景化する視界です。
その支えとして挙げられているのが、分散的なデジタル・プラットフォームの広がりです。従来の「ゲートキーパー」を迂回して、地域や個人が自らの物語を発信し、受け手が直接アクセスできる余地が増えた――という見立てです。
西側報道の「お決まりの描写」から、自己定義へ
論考では、西側の報道が中国を「異国情緒的で前近代的」といったフィルター越しに描きがちだ、という問題提起もなされています。同様の固定観念は他地域にも向けられ、ラテンアメリカ、東欧、イスラム世界などが単純化されたイメージで語られやすい、という指摘につながります。
ここで焦点になるのは、誰が「近代」や「発展」の語りを設計してきたのか、そしてそれを当事者がどう更新できるのか、という点です。
動画ブロガー李子柒が示した「伝統と近代の同居」
具体例として挙げられるのが、中国の動画ブロガー李子柒(リー・ズーチー)です。農村生活を詩的に切り取る映像は、ロマン化や演出の側面があるとされつつも、「非西洋的な近代性(別の近代)」の可能性を示すものとして読まれています。
- 近代化は必ずしも西洋化と同義ではない
- 伝統は近代化によって消えるだけのものではない
- 固有の暮らしは「博物館に収める対象」ではなく、現代のスクリーンに乗りうる
こうした感覚が、特に東南アジアを含むグローバルサウスの若い世代に「自己定義」の発想を促している、という整理です。
「近代=西洋」という前提をほどくと、何が見えるか
論考のもう一つの焦点は、近代であることを西洋であることと同一視する立場への問いかけです。中国の台頭と、グローバルサウスの急速な発展が示しているのは、「選択肢は一つではない」という事実だ、という捉え方が提示されています。
そのうえで、グローバルサウスは自らの条件や伝統に根ざした近代化の道筋を見いだす必要がある――という議論につながります。ここで強調されるのは、特定のモデルを否定することよりも、複数モデルが並び立つ世界を前提に、言葉と映像の両方で主体性をどう確保するか、という論点です。
2026年2月の北京訪問をきっかけに、「近代化とは何か」「誰の語りが世界の標準になってきたのか」という問いが、外交とデジタル文化の交点で静かに広がっています。
Reference(s):
The Global South sees an alternative modernity by looking to China
cgtn.com








