手話通訳がつないだ「静かな会話」――エスターさんが架け橋になる瞬間
先日、聴覚に障害のある選手とコーチの間に立ち、声を使わずに意思疎通を成立させていく手話通訳者の姿が、コミュニケーションの「当たり前」を静かに揺さぶりました。
練習場で見た、音のない「熱量」
最初に目に入ったのは、手話通訳のエスター・エウロロさんが、聴覚に障害のある選手マキシミラ・カデンゲさんと、コーチのハッサン・フセインさんの間で、テンポよくやり取りをつないでいる場面でした。
そこにあったのは、怒鳴り声も笛の合図もないのに成立している「会話」です。身ぶり、手の形、視線、表情。小さな動きが連なり、相手の理解につながっていく。その光景は、聞こえる側がいかに簡単に“伝わること”を前提にしてしまうかを、そっと教えてくれます。
「耳は聞こえます」――10年の積み重ね
短い休憩時間に、私はハッサンさんに「エスターさんも聴覚に障害があるのですか」と尋ねました。するとエスターさんはその質問に気づき、こちらを向いて、控えめに笑いながらこう答えます。
「いいえ、聞こえます。手話は10年間勉強してきました」
その言葉以上に印象的だったのは、三者の間に生まれていた自然さでした。音の世界と沈黙の世界を“翻訳”するというより、練習の流れを止めずに、互いの意図が途切れないように整えていく。そこに、技術と同じくらいの「気配り」が見えました。
ムミアスで芽生えた問い:教会で感じた隔たり
エスターさんはムミアスで育ち、身近に聴覚障害のある人たちがいる環境で過ごしてきたといいます。特に記憶に残っているのが、毎週日曜日の教会の時間でした。
説教が続く間、聴覚障害のある会衆が内容を追えないまま座っている――その光景が、幼い彼女の心に引っかかったのだそうです。
「心が動きました。どうしたら、このコミュニケーションの壁を壊せるんだろう?」
この問いが、彼女の進む方向を決めていきました。
通訳が「言葉」以外を運ぶとき
この日の練習で見えたのは、コミュニケーションが音声だけで成立しているわけではない、という当たり前の事実です。むしろ、相手に届く形に整えるには、意図をくみ取り、相手の理解の速度に合わせ、誤解の芽を小さく摘む必要があります。
練習場で起きていたこと(見えてきた役割)
- 選手とコーチの「指示」と「反応」を、途切れない流れで往復させる
- 声の代わりに、視線や手ぶりでタイミングをつくる
- 内容だけでなく、ニュアンスや意図が伝わるように整える
エスターさんの姿は、手話通訳という仕事が、単に言葉を置き換える作業ではなく、異なる条件をもつ人同士の間に「同じ場」をつくる営みなのだと感じさせました。音がなくても伝わることはある。けれど、その“伝わる”を支える人がいることで、場はもっと豊かになる――そんなことを、静かに考えさせられる時間でした。
Reference(s):
Reporter's Diary: How a sign language interpreter bridges two worlds
cgtn.com







