AIチップに位置追跡義務化?米上院法案が生む監視リスク
米国上院で、先端AIチップに位置情報の追跡機能を義務づける法案が提出されました。中国への重要な半導体技術の移転を抑えることを掲げた動きですが、ハードウェアレベルの監視が常態化するのではないかという懸念から、2025年現在も技術業界で議論が続いています。
何が起きているのか:Chip Security Actとは
今年5月9日、米上院のトム・コットン議員が「Chip Security Act(チップ安全保障法)」と呼ばれる法案を提出しました。この法案は、特定の「先端AIチップ」に対して、位置情報を追跡できる仕組みの搭載を義務づける内容だとされています。
位置追跡の仕組みとは、チップがどこにあるのか、どこで使われているのかを把握できるようにするための技術です。法案が成立すれば、対象となるAIチップには、輸出後も所在を追えるような機能が組み込まれることになります。
こうした仕組みは、すでに一部の米国製チップの輸出品でも確認されていると報じられており、今回の法案はそれを制度として明確化する動きとみることもできます。
法案の狙い:対中輸出管理の強化
Chip Security Actの表向きの目的は、輸出管理の強化です。とくに、中国が先端の半導体技術を取得することを防ぐことが掲げられています。米国の政策担当者は、安全保障上の理由から、AIや高性能計算に使われるチップの流れをより細かく把握したい考えだとされています。
位置追跡機能があれば、チップが想定していない地域や用途に転用されていないかをチェックしやすくなります。一方で、技術業界の専門家は、こうした仕組みが輸出管理の枠を超えて、広範な監視の手段になりうると指摘しています。
ハードウェア監視が生む3つの懸念
ハードウェアにまで監視や追跡機能を組み込む発想は、サイバーセキュリティとプライバシーの両面で重大な意味を持ちます。専門家がとくに懸念しているのは、次の3点です。
1. グローバルサプライチェーンへの影響
AIチップは、設計・製造・組み立て・利用のすべての段階が複数の国や地域にまたがる、典型的な「グローバルサプライチェーン」の産物です。そこに位置追跡機能の義務化が加わると、次のような影響が考えられます。
- 米国企業は、輸出先や用途に応じた設計変更など、追加のコストや手続きに直面する可能性がある
- 他国や地域の企業・政府は、米国製チップに標準的に追跡機能が入ることへの警戒感を強めるおそれがある
- その結果、別の供給網や独自規格のチップを選好する動きが強まり、サプライチェーンの分断が進むリスクがある
「安全保障のための管理強化」が目的であっても、現場レベルでは「特定の国のチップは扱いづらい」という印象が広がる可能性があります。
2. 企業と開発者にとってのリスク
AIやクラウドサービスを提供する企業にとっても、位置追跡機能の義務化は無視できないテーマです。追跡機能を含むチップを使う場合、次のような課題が生じるかもしれません。
- どのチップにどのような追跡機能が搭載されているのかを把握し、説明責任を果たす必要が出てくる
- 追跡情報がどこに送られ、誰がアクセスできるのかを管理しなければならない
- もし追跡機能そのものに脆弱性があった場合、攻撃者に悪用されるリスクが高まる
とくに、AIモデルを扱うスタートアップや中小企業にとっては、こうした追加の管理コストが重くのしかかる可能性があります。
3. デジタルセキュリティとプライバシー
位置追跡機能がチップレベルで標準化されると、デジタルセキュリティとプライバシーの境界線はさらに複雑になります。専門家は、次のような問いを投げかけています。
- 追跡される情報は、どの程度の精度と頻度で収集されるのか
- その情報はどの国・どの機関が保有し、どのようなルールで共有・利用されるのか
- 将来、政治状況や法律が変化したとき、そのデータが別の目的で使われることはないのか
チップに一度組み込まれた機能は、ソフトウェアのアップデートのように簡単には取り除けません。その意味で、位置追跡機能の義務化は、技術的な仕様であると同時に、長期的な社会選択でもあります。
「クリッパーチップ再び?」という問い
今回の動きは、一部で「クリッパーチップは戻ってきたのか?」という問いかけとともに語られています。これは、政府が安全保障を理由に、通信や暗号、ハードウェアに特別なアクセス手段を持つべきかどうかという、長く続いてきた論争を思い起こさせるからです。
Chip Security Actをめぐる議論の根底には、次のようなシンプルだが重い問いがあります。
- 国家は、どこまでハードウェアレベルの監視・追跡機能を求めてよいのか
- 技術企業は、その要求にどう向き合うべきなのか
- 利用者は、利便性と安全性のために、どの程度の可視化・追跡を受け入れられるのか
「安全のための監視」と「監視されない自由」のバランスをどこに置くのか。古くて新しいこのテーマが、AIチップをめぐる形で再び突きつけられているともいえます。
これからの論点:日本から何を考えるか
日本に住む私たちにとっても、これは決して遠い話ではありません。クラウドサービスや生成AI、スマートフォンなど、日常的に使う多くのサービスが、米国企業のチップやインフラの上に成り立っているからです。
今後の議論を追ううえで、次のようなポイントに注目しておくとよさそうです。
- AIサービスやクラウドを支える半導体が、どのような輸出規制や追跡機能のもとで設計・流通しているのか
- ハードウェアに組み込まれた追跡機能を、企業や社会としてどこまで許容できるのか
- 安全保障とプライバシー、イノベーションのバランスをどう考えるのかについて、国際的なルールづくりがどの方向に進むのか
Chip Security Actが今後どう扱われるかは、米国の法制度だけでなく、世界の半導体産業やデジタル空間のあり方にも影響しうる問題です。AIチップに「監視機能」を組み込む発想を、私たちはどこまで受け入れるのか。2025年のいま、この問いを自分ごととして考えるタイミングに来ているのかもしれません。
Reference(s):
Clipper chip is back? U.S. pushing for hardware surveillance
cgtn.com







