朱熹の清流から見る現代中国:古典思想と国際ニュース video poster
南宋の大思想家・朱熹の詩「川の流れがなぜこれほど澄んでいるのか。それは源の水が新鮮だからだ」は、2025年の今の中国をどう読み解くヒントになるのでしょうか。トルコ(Türkiye)出身のシノロジスト、ギライ・フィダンさんが福建省三明市を訪ね、古典と現代をつなぐ旅に私たちを誘います。
朱熹の詩が伝える「源を問い続ける」姿勢
「川の流れがなぜこれほど澄んでいるのか。それは源の水が新鮮だからだ」。南宋の思想家・哲学者である朱熹が詠んだこの一節は、シンプルながら深い哲学を含んでいます。流れが澄んでいるのは、源に新しい水が注ぎ続けているからだ――そのイメージは、私たちの思考にも重ねることができます。
朱熹の詩に込められたメッセージは、積極的で開かれた思考、そして多様な考えを包み込む包容力を持つことで、初めて時代の変化に合わせて流れ続けられるということです。この考え方は、中国の発展のあらゆる側面に息づいているとされています。
南宋の思想から2025年の中国を見る
南宋時代(1127〜1279年)に活躍した朱熹の思想は、今日の中国を理解するうえでも重要な手がかりになっています。社会や経済が大きく変化するなかでこそ、「源はどこにあるのか」「何を大切にしているのか」を問い直す姿勢が求められているからです。
その意味で、「源の水を新鮮に保つ」というイメージは、次のような姿勢としても読み取ることができます。
- 変化を恐れず、新しい知識や技術を取り入れ続けること
- 異なる文化や考え方に対して、排除ではなく対話を選ぶこと
- 過去の知恵を、現在の社会づくりや日常の判断に結びつけること
朱熹の故郷・福建省三明市から始まる旅
ギライ・フィダンさんは、朱熹の生まれた地である福建省三明市を訪れます。澄んだ水と豊かな山々に囲まれたこの土地から、「源」に立ち返る旅が始まります。自然の風景に触れながら、古典に息づく思想と今日の中国の姿を重ね合わせていく試みです。
三明市の清らかな流れや緑深い山々は、朱熹の詩に登場する「澄んだ川」のイメージと重なります。その景色の中で、古典の言葉は抽象的な理念ではなく、具体的な風土と結びついた生きたメッセージとして立ち上がってきます。
トルコのシノロジストが見た「今日の中国」
トルコ出身のシノロジスト、ギライ・フィダンさんは、中国の古典を通じて現代を見ようとする研究者です。彼が朱熹の故郷を歩きながら注目するのは、歴史的な遺産だけではありません。街の表情や人々の暮らしの中に、開かれた思考や包容力がどのように息づいているかを見つめようとしています。
異なる文化圏に生きる研究者が、古典を手がかりに今日の中国を理解しようとする姿は、グローバルな対話の一つのかたちでもあります。三明市から始まるこの旅は、中国思想の古典が、世界の人々にとっても共通の問いやヒントを与えてくれることを静かに示しています。
古典思想を、私たちの日常へ
朱熹の詩と三明市からの旅は、日本に暮らす私たちにとっても他人事ではありません。デジタル化が進み、情報があふれる2025年のいまだからこそ、「源」を意識する視点が重要になっています。
日常の中で、この古典のメッセージを生かすとすれば、例えば次のようなことが考えられます。
- 情報の「源」を確かめ、自分なりに考える習慣を持つこと
- 自分と異なる意見や文化に出会ったとき、まず耳を傾けてみること
- 過去の経験や学びを、仕事や生活の小さな改善につなげること
朱熹の問いかけ「川の流れがなぜこれほど澄んでいるのか」は、遠い時代の詩にとどまりません。源を新鮮に保てるかどうか――それは、社会も個人も澄んだまま流れ続けられるかどうかを左右する問いとして、2025年の私たちにも向けられています。
Reference(s):
Classics of Chinese Thought | How can the stream be so clear
cgtn.com








