シリア・ダマスカスの教会自爆攻撃に数千人が抗議 video poster
2025年6月22日、シリアの首都ダマスカスで行われていた教会の礼拝を、自爆攻撃が直撃しました。州営メディアによると少なくとも22人が死亡し、63人が負傷しました。翌23日には、前夜の攻撃に抗議するため、数千人がダマスカスの街頭に集まりました。
礼拝中の教会を狙った自爆攻撃
攻撃が起きたのは、信者でいっぱいの教会で礼拝が行われていた時間帯でした。州営メディアによれば、自爆犯が教会を標的とし、多数の死傷者が出たと伝えられています。
礼拝という、日常の祈りの場が突然暴力にさらされたことで、現場周辺だけでなく、ダマスカス全体に強い衝撃と不安が広がったとみられます。
ダマスカスに数千人が集まった抗議デモ
攻撃の翌日の6月23日、ダマスカスでは前夜の教会爆破に対する抗議デモが行われ、数千人規模の人びとが街頭に集まりました。参加者たちは、犠牲者を悼むとともに、宗教施設や市民を狙う暴力への強い反対の意思を示しました。
宗教や背景を問わず、市民が一体となって抗議の声を上げたことは、社会が暴力の連鎖に「ノー」を突きつけようとする動きとも言えます。
宗教施設への攻撃がもたらす傷跡
宗教施設は、多くの地域で「心の拠り所」として機能しており、そこへの攻撃は単なる建物への被害にとどまりません。信仰や日常の安心感が揺さぶられ、人びとの間に恐怖や不信感が広がりやすくなります。
- 「どこにいても安全ではないのではないか」という不安
- 宗教や集団間の関係悪化への懸念
- 暴力がさらに暴力を呼ぶ「報復の連鎖」への恐れ
今回のように礼拝中の教会が狙われた場合、その地域の宗教コミュニティだけでなく、広く社会全体の心理的なダメージも大きくなります。
2025年12月の今、私たちが考えたいこと
2025年6月の事件から数か月が経った今も、ダマスカスの教会爆破とその後の抗議デモは、「市民の安全」と「宗教の自由」をどう守るかという問いを投げかけ続けています。
遠く離れた日本からこのニュースを読む私たちにとっても、次のような視点で考えるきっかけになりそうです。
- 宗教や背景の違いをこえて、市民同士が連帯することの意味
- 自爆攻撃などの暴力に、社会としてどう向き合うか
- ニュースで伝えられる「数字」の背後にいる、一人ひとりの生活や物語を想像すること
国際ニュースは、ともすると「遠い国の出来事」として流れてしまいがちです。しかし、教会で祈りをささげていた人びとや、翌日に街頭に出た市民の姿を思い浮かべるとき、私たち自身の社会のあり方を静かに見つめ直すヒントも見えてきます。
Reference(s):
cgtn.com








