国連80年と地球の警告:津波と巨大地震が教える共有言語 video poster
2011年の日本の津波映像、そして最近カムチャツカを襲ったマグニチュード8.7の地震。国連創設80年という節目の年である2025年に、こうした自然災害の国際ニュースは、私たちに「地球からの警告」という共通のメッセージを改めて突きつけています。
2011年の津波映像が今も背筋を凍らせる
2011年に日本を襲った津波の映像は、十数年が経った今も強い印象を残しています。押し寄せる黒い水の壁、のみ込まれていく街並み。その光景は、自然の力があまりにも圧倒的であることを静かに、しかし残酷なまでに見せつけました。
その映像を見た多くの人が、国境や言語を越えて同じ震えを覚えたはずです。「もし自分の街だったら」と想像した瞬間、他国のニュースは、もはや他人事ではなくなります。
カムチャツカのM8.7地震が示した母なる地球の無関心
最近、カムチャツカではマグニチュード8.7という巨大地震が起きました。これは、母なる地球からの容赦ないリマインダーだといえます。地面が揺れ、割れ目が走るとき、地球は私たちの国籍や政治的立場を区別しません。
地面が裂ける瞬間、人は皆、同じ恐怖から逃げ出します。そのとき必要なのは、どの国の人かというラベルではなく、目の前の命を守るための行動だけです。
UN@80──地球の警告を共有言語にするという発想
UN@80: When Earth's warnings become our shared language というフレーズは、「地球からの警告が私たちの共有言語になるとき」というイメージを伝えています。地震や津波のような出来事は、専門用語がわからなくても、誰もが直感的に理解できるメッセージだからです。
国連創設80年の今、こうした共有言語を土台に国際協力を考える視点が重要になっています。自然災害をめぐる情報や経験を、国同士の対立や分断ではなく、対話と連帯のきっかけに変えられるかどうかが問われています。
土地を守ることは、もはや選択ではない
このフレーズの背景には、「土地を守ることは選択ではなく、生き残るための条件だ」という認識があります。津波が街をのみ込み、地震が建物を倒すたびに、私たちは暮らしがどれほど大地に依存しているかを思い知らされます。
防災のまちづくり、自然を破壊しすぎない開発、地域の土地利用を見直す議論などは、すべて「生き延びるためのプロジェクト」として捉え直すことができます。
小さな青い球を共有するという視点
宇宙から見れば、地球は暗い宇宙空間に浮かぶ小さな青い球にすぎません。tiny blue ball という表現は、そのはかなさと貴重さをよく表現しています。そして、その球体は人類すべてが共有する唯一の「家」です。
どの国の人であっても、地震の揺れを感じる身体は同じです。空気や水、土に頼らずに生きることはできません。だからこそ、地球の警告を自分ごととして受け止める視点が求められています。
私たち一人ひとりにできる小さなステップ
巨大地震や津波は、個人の力だけでは止められません。それでも、地球の警告を共有言語として受け取り、行動につなげるために、私たちにできることはあります。
- 災害や環境に関する国際ニュースを「遠い国の話」で終わらせず、自分の暮らしに引き寄せて考える
- 国や地域の違いではなく、「同じ地球で生きる人」として他者の被災体験に耳を傾ける
- 土地の使い方や開発について議論があるとき、「この場所を次の世代にどう手渡すか」という視点を持つ
- SNSなどで災害や環境に関する情報を共有するとき、恐怖をあおるだけでなく、学びや連帯につながる文脈を添える
地球の警告を分断ではなく連帯のきっかけに
2011年の日本の津波、そして最近のカムチャツカの巨大地震は、母なる地球が私たちに送るメッセージのようにも見えます。それは、誰か一つの国だけに向けられたものではなく、この小さな青い球を共有するすべての人への呼びかけです。
国連創設80年の今、地球の警告をどう読み解き、どのような共有言語として育てていくのか。私たち一人ひとりがその問いを引き受けることが、次の80年を生き延びるための出発点になるのかもしれません。
Reference(s):
cgtn.com








