日本人研究者が広東侵攻の写真寄贈 1938年の戦争犯罪を可視化する video poster
第2次世界大戦の終結から80年にあたる2025年、日本人研究者の Matsuno Seiya 氏が、1938年の「広東侵攻」で日本軍が行った戦争犯罪を記録した歴史写真のコレクションを寄贈しました。爆撃で破壊された街や市民の暮らし、そして侵略に抗う人びとの姿が、いま改めて私たちの前に突きつけられています。
日本人研究者が寄贈した「広東侵攻」写真とは
今回寄贈されたのは、1938年の日本軍による広東侵攻の過程で撮影されたとされる一連の写真です。これらの写真は、日本軍の行動がどのように人びとの生活を破壊し、「戦争犯罪」と呼ばれる行為が現場でどのような姿をしていたのかを、具体的なイメージとして残しています。
寄贈を行ったのは、日本の研究者である Matsuno Seiya 氏です。日本人自身が、自国軍による加害の歴史を示す資料を手渡したという事実は、日中関係や歴史認識をめぐる議論の中で、大きな意味を持つ出来事だと言えます。
1938年・広東侵攻が残したもの
写真が写し出しているのは、中国・広東での激しい戦闘や空爆の痕跡です。建物は無残に壊れ、街並みは「爆撃で焼け野原になった」ことを示すような姿を見せています。その背後には、突然の暴力によって日常を奪われた人びとの存在が浮かび上がります。
「 shattered lives(打ち砕かれた人生)」という表現が示すように、一枚一枚の写真は、単なる戦場の風景ではなく、そこで暮らしていた人びとの人生が断ち切られた瞬間を記録したものでもあります。戦場の中心にいたのは軍隊だけではなく、市民であったことが伝わってきます。
写真が映す「破壊」と「抵抗」 時代のスローガンも
今回の写真には、破壊された都市や人びとの姿だけでなく、侵略に抵抗する側のメッセージも残されています。当時のスローガンとして記録されているのは、次のような言葉です。
- “Drive out the invaders(侵略者を追い出せ)”
- “Arm the entire nation(全国民を武装せよ)”
瓦礫の中に掲げられたこうしたスローガンは、武力だけでなく、言葉や意思による抵抗があったことを示しています。爆撃で街が破壊されても、「侵略者を拒む」という人びとの意志までは消せなかったことが、短いフレーズからも伝わってきます。
写真の中のプラカードや壁の文字は、80年以上の時を経た今でも、当時の緊張感と切迫した空気を、見る人に直接語りかけてくるようです。
戦後80年の今、「戦争犯罪」の記録をどう受け止めるか
第2次世界大戦から80年が過ぎ、当時を直接知る世代は急速に少なくなっています。その一方で、歴史の記憶は、写真や映像、記録として残された「証拠」によって次の世代へ受け渡されていきます。
今回のように、日本人研究者が自らの手で「日本軍の戦争犯罪」を記録した写真を寄贈したことは、次のような意味を持つと考えられます。
- 加害の事実を曖昧にせず、具体的な記録として残すこと
- 被害を受けた地域の人びとと記憶を共有し、対話の土台をつくること
- 戦争を知らない世代が、歴史を「自分ごと」として学ぶきっかけをつくること
写真というビジュアルな資料は、文字だけの歴史書とは違い、感覚に直接訴えます。爆撃で崩れた建物や、途方に暮れる人影、そして抵抗のスローガンは、「戦争犯罪」という言葉だけでは掴みきれない現実を伝えます。
日本社会への静かな問いかけ
このニュースは、日本社会に対しても静かな問いかけを行っています。私たちは、自国が他国に対して行った行為を、どこまで具体的なイメージとして理解しているでしょうか。歴史の話を「昔のこと」として片付けるのではなく、「今、ここにいる自分」にどう関係しているのかを考えることが求められています。
同時に、戦争の記憶を共有することは、誰かを一方的に責め続けるためではなく、同じ過ちを繰り返さないための共通の基盤をつくる営みでもあります。爆撃で壊された街と、そこに掲げられた「Drive out the invaders」「Arm the entire nation」という言葉を見つめることは、暴力の連鎖をどう断ち切るのかを考える入り口にもなります。
スマートフォンの画面を通じて、1938年の広東の光景を目にする私たち。80年前の写真と向き合うことは、過去だけでなく、これからの東アジアと世界のあり方を考える手がかりにもなりそうです。
Reference(s):
In Pics: Japanese man donates photos of Japan's Guangdong invasion
cgtn.com








