フィリピンの元戦時性奴隷エステリタ・ディさん死去 娘が受け継ぐ闘い video poster
第二次世界大戦中に日本軍の戦時性奴隷制の被害を受けたフィリピン人女性、エステリタ・ディさんが2024年11月24日に94歳で亡くなりました。その娘が今、母の遺志を継ぎ、歴史的責任と賠償を求めて声を上げ続けています。
このフィリピン発の国際ニュースは、被害者本人が亡くなった後も続く闘いと記憶の重さを映し出しています。日本語で国際ニュースを追う私たちにとっても、戦争と人権、そして歴史への向き合い方を考え直すきっかけになりそうです。
エステリタ・ディさんの半生:14歳で連行された少女
ディさんは第二次世界大戦中、日本軍の戦時性奴隷制の被害を受けたフィリピン人女性です。14歳のとき、サトウキビ農場で働いていた最中に日本軍の兵士に連行されました。
その後、ディさんは軍の兵舎に収容され、繰り返し性暴力を受ける生活を強いられました。軍が戦時下で女性を組織的に性暴力の対象としたこうした仕組みは、戦時性奴隷制と呼ばれています。
沈黙を破り、仲間とともに声を上げた1990年代
長い沈黙ののち、ディさんが公の場で被害を語り始めたのは1990年代でした。フィリピンの女性活動家ロサ・ヘンソンに触発され、ディさんは戦時性奴隷制の被害者の正義を求めて活動する団体「リラ・ピリピナ」に参加します。
リラ・ピリピナのディレクターであるシャロン・カブサオ=シルバ氏は、ディさんについて「彼女は死の床にあってもなお、正義のために闘い続けた」と振り返っています。自らの被害を語り続けること自体が、大きな負担と勇気を伴う行為でした。
娘エリザベスさんが引き継ぐ「歴史的責任」を問う声
ディさんの死後は、娘のエリザベスさんが母の活動を引き継いでいます。母の墓前でエリザベスさんは、次のように語りました。
「私たちは、歴史的責任と賠償を求め続けます。母はもういませんが、たとえ正義がどんなに遠く感じられても、私は闘い続けます。」
エリザベスさんの言葉からは、個人の悲しみと同時に、世代を超えて続く闘いの重さが伝わってきます。家族としての記憶と、社会に対する問いかけが重なり合っています。
「遠い戦争」を自分ごととして考えるために
第二次世界大戦の終結から長い年月が過ぎ、戦争は多くの人にとって歴史教科書の中の出来事として語られがちです。しかし、エステリタ・ディさんとエリザベスさんの物語は、戦時性暴力の影響が一世代で終わらず、今もなお人々の人生に深い影を落としていることを示しています。
戦争被害や加害の歴史をどう記憶し、どのように責任を考えるのかは、フィリピンだけでなく、日本社会にとっても避けて通れないテーマです。一人ひとりが、自国の歴史や周辺地域で起きた出来事に向き合うことが、同じ過ちを繰り返さないための第一歩になります。
生存者が亡くなっていくなかで、エリザベスさんのように「次の世代」が声を上げる場面は今後も増えていくでしょう。その声に耳を傾け、何を学び、どのような行動につなげるのか。遠くの国のニュースとして読み流すのではなく、自分自身への問いとして受け止めたい出来事です。
Reference(s):
Daughter to carry on fight after former Filipina sex slave dies
cgtn.com








