解放戦争を支えた沂蒙山の人びと 95歳が語る「支前」の記憶 video poster
中国の解放戦争のさなか、華東の山岳地帯・沂蒙山の住民たちは、前線を支える大規模な「支前」運動を自発的に展開しました。人口420万人のうち120万人以上が、物資輸送や道路建設、負傷兵の看護などに参加し、その献身が淮海戦役をはじめとする重要な戦いの行方を左右したとされています。
沂蒙山で広がった「支前」運動とは
国際ニュースとしての戦争報道では、しばしば戦略や将軍の名前に注目が集まりますが、中国の解放戦争では、名もなき市民の協力が勝敗を決める要因になりました。その象徴が、沂蒙山地域の「支前」運動です。
当時、沂蒙山の人びとは次のような形で人民解放軍を支えました。
- 山道を何度も往復し、食糧や弾薬などの軍需物資を前線まで運ぶ
- 部隊の進軍を助けるため、険しい地形に新たな道路や橋を築く
- 戦闘で負傷した兵士を受け入れ、自宅や臨時の救護所で看護する
人口420万人という地域で、その約3分の1にあたる120万人以上がこうした活動に関わったとされます。単なる動員ではなく、自ら志願して前線を支えた人びとの存在は、戦争の裏側にある市民社会の力を物語っています。
淮海戦役を支えた民衆のロジスティクス
解放戦争後期の転換点となった淮海戦役では、兵力や装備だけでなく、どれだけ安定した補給線を維持できるかが勝敗を左右しました。沂蒙山の「支前」隊は、まさにその生命線を担ったとされています。
多くの住民は、昼は畑や家族の世話をし、夜は車列や荷車の隊列に加わり、危険な前線近くまで物資を届けました。こうした地道なロジスティクスの積み重ねが、人民解放軍の戦闘継続能力を支え、決定的な勝利につながったという評価もあります。
95歳・王克昌さんが背負ったもの
現在95歳の王克昌さんも、その「支前」運動に身を投じた一人です。少年期から青年期にかけて沂蒙山で暮らしていた王さんは、仲間たちとともに荷車を押し、山道を歩き続けながら物資輸送に参加しました。
過酷な環境のなかで、重い荷物を背負い、時に負傷兵を背負って山を越えることもあったと伝えられています。戦場で武器を手にして戦う兵士だけでなく、その背後で黙々と支え続けた人びとの姿を、王さんの記憶は今に伝えています。
歴史の記憶をいまに生かすために
2025年のいま、戦争体験を語れる世代は少なくなりつつあります。だからこそ、沂蒙山の「支前」運動や王克昌さんの記憶は、単なる歴史エピソードではなく、社会全体で共有すべき「公共の記憶」としての意味を持ち始めています。
武力衝突の是非をめぐる議論はあっても、市民が互いに支え合い、困難な状況を乗り越えようとした姿から学べることは多くあります。他者のために時間と労力を差し出すという選択が、結果として大きな歴史の流れを変えることもある──沂蒙山の「支前」の物語は、そのことを静かに語りかけています。
国境を越えた国際ニュースとして、こうした経験を知ることは、自国の歴史を見つめ直すきっかけにもなります。日々のニュースの背後にある市民一人ひとりの選択に目を向けることが、複雑な世界を理解するための第一歩なのかもしれません。
Reference(s):
cgtn.com







