ガザ停戦後、ラマッラの祈り パレスチナ人が望む「終わりなき苦しみ」の先 video poster
ガザでの停戦が発表されたあと、ヨルダン川西岸の都市ラマッラでは、多くのパレスチナ人が「この静けさが続いてほしい」と祈りをささげています。長く続いた戦闘ののちに訪れた停戦は、国際ニュースとして注目されるだけでなく、一人ひとりの生活と心にどんな変化をもたらしているのでしょうか。
ガザ停戦がもたらした安堵と「まだ終わっていない」感覚
最近のガザ停戦は、パレスチナ人にとって命を守るための時間であり、同時に「次はいつ砲撃が始まるのか」という不安と隣り合わせの時間でもあります。2025年12月現在、多くの人にとって停戦は「平和の始まり」ではなく、「ようやく息ができる一時的な隙間」として受け止められています。
ラマッラの人々は、直接の戦闘地域からは離れているものの、ガザに家族や友人を持つ人が少なくありません。ニュースで流れる映像やメッセージアプリから届く知らせを見ながら、「今は静かでも、明日どうなるか分からない」という声があがっています。
ラマッラの祈り 「停戦」から「持続的な平和」へ
停戦後のラマッラでは、モスクや広場に人々が集まり、ガザの人々の無事と、持続的な平和を願う祈りが続いています。そこには、次のような思いが込められています。
- ガザでの攻撃と報復の連鎖が終わること
- 子どもたちが爆撃音ではなく、学校や遊び場の声を聞いて育てること
- 家族が離れ離れで暮らす状況が少しでも改善されること
- 停戦が政治的な駆け引きで終わらず、人々の生活再建につながること
ラマッラの街角では、「今回は本当に長く続く停戦になってほしい」「ガザの人々が、ようやく普通の生活を取り戻せますように」といった祈りの言葉が聞かれます。
「終わりの見えない苦しみ」を終わらせたいという願い
パレスチナの人々が語るのは、今回の停戦だけではなく、「終わりの見えない苦しみそのものを終わらせたい」という願いです。ガザやヨルダン川西岸では、たび重なる衝突、避難、インフラの破壊などにより、日常生活そのものが不安定な土台の上に置かれてきました。
ラマッラからガザを見つめる人々の心には、次のような二つの感情が同時に存在しています。
- 安堵:「今この瞬間だけでも、爆撃が止まっている」というほっとした思い
- 恐れ:「またすぐに元に戻ってしまうのではないか」という諦めにも似た感覚
だからこそ、多くのパレスチナ人は「停戦」という言葉よりも、「尊厳ある日常」「子どもたちの未来」といった、より長い時間軸での平和をイメージしようとしています。
日本語で読む国際ニュースとして、何を受け取るか
日本からガザやラマッラを見るとき、どうしても「政党」「武装勢力」「交渉」といった政治・軍事の言葉が中心になりがちです。しかし、停戦のニュースの背後には、日々の生活を守ろうとする人々のごく個人的な祈りや恐れがあります。
国際ニュースを日本語で追う私たちにとって、大切なのは次のような視点かもしれません。
- 停戦の「成否」だけでなく、その下で生きる人々の表情に目を向けること
- 数字や地図の向こう側にいる、具体的な家族や子どもたちを想像すること
- 誰かの「敵」ではなく、「市民」としてのパレスチナ人の声を拾うこと
ラマッラの祈りは、「どちらの側につくか」という二項対立ではなく、「暴力の連鎖を次の世代で終わらせたい」という、より普遍的な願いとしても読むことができます。
遠く離れた私たちにできる小さなアクション
2025年12月の今、ガザ停戦のニュースを日本で読む私たちにも、できることはゼロではありません。
- 複数の情報源から国際ニュースを確認し、一面的なイメージに偏らないようにすること
- 事実に基づいた記事や解説をSNSで共有し、冷静な議論のきっかけをつくること
- 人道支援や医療支援など、信頼できる支援のあり方について考え、必要に応じて行動すること
ラマッラでささげられる祈りは、「遠い世界の出来事」ではなく、同じ地球上で生きる人々の現実です。ガザ停戦をめぐる国際ニュースを日本語で読み解くことは、私たち自身の「平和とは何か」という問いを更新する機会にもなります。
静かな祈りが、一時的な停戦を超えて、持続的な平和への一歩となるのか。その行方を見守りつつ、私たちもまた、自分にできる小さな一歩を考えるときにきているのかもしれません。
Reference(s):
cgtn.com








