ベトナム戦争から50年 米退役軍人が再びベトナムへ video poster
ベトナム戦争から50年、米退役軍人はいま何を見ているのか
ベトナム戦争の終結からおよそ50年がたった2025年のいまも、その記憶は多くの人の心から消えていません。とくに、若き兵士として戦場に送られたアメリカの退役軍人たちにとって、ベトナムは「遠い戦地」であると同時に、自分の一部を置き去りにしてきた場所でもあります。
戦争が壊したのは国だけではない
ベトナム戦争は、一つの国だけでなく、ベトナムとアメリカ、両方の社会と数えきれないほどの人生を深く傷つけました。戦闘で命を落とした人だけでなく、生き延びた人々もまた、心の中に戦争を抱え続けています。
当時、アメリカからベトナムへ派遣されたのは、多くが10代後半から20代前半の若い兵士たちでした。見知らぬ土地での激しい戦闘、仲間の死、自らが相手に向けた暴力。その経験は、戦争が終わったあとも長く彼らを苦しめてきました。
兵士ではなく「平和を求める人」として再びベトナムへ
戦争終結から50年のあいだに、一部のアメリカ退役軍人たちは再びベトナムを訪れています。かつては武装した兵士として立っていた土地に、今度は観光客として、あるいは「心の整理」を求める旅人として戻ってくるのです。
彼らが向かう先は、若いころに任務についていた基地の跡地や、激戦が行われた地域です。そこは、友人や仲間を失い、自分の青春と、ある意味では「自分自身」そのものを失った場所でもあります。
「失った自分」を探すように戦場を歩く
退役軍人たちの多くは、戦場を再び歩くことで、長年言葉にできなかった感情と向き合おうとします。あの日と同じ地形を見つめながら、彼らは心の中で、失われた命に語りかけ、自分が生き残った意味を問い直しているのかもしれません。
戦争中に抱いた恐怖や怒り、罪悪感や後悔は、時間がたてば自然に消えていくものではありません。ベトナムへの再訪は、その重い感情と向き合うための、個人的で静かな「儀式」のような側面も持っています。
ベトナムの「いま」との出会い
同時に、再訪は「いまのベトナム」と出会う機会にもなります。かつて戦場だった場所に、日常の暮らしや子どもたちの笑い声がある光景に触れることは、戦争のイメージを少しずつ塗り替えていくきっかけになります。
かつての敵国ではなく、一つの社会と人々の生活としてベトナムを見ることは、自分自身の中に残っていた「戦時のまなざし」を手放すプロセスでもあります。そうした変化は、個人の心の平和だけでなく、国と国の関係をとらえ直す小さな一歩にもなりえます。
「記憶」とどう生きるかを、私たちにも問いかける
ベトナム戦争から半世紀が過ぎ、当時を直接知る世代は少しずつ高齢になっています。しかし、アメリカ退役軍人たちがいまもなお戦争の記憶と向き合い続けているという事実は、「戦争は終わっても、その影響は終わらない」という現実を静かに教えてくれます。
遠い国の出来事のように見えるベトナム戦争の物語は、実は、どの社会にも共通する問いを含んでいます。暴力の記憶とどう向き合うか。戦争に行った人と行かなかった人のあいだの溝をどう埋めるか。そして、過去の出来事を忘れずに、しかしそれだけに縛られない未来をどう描くか。
通勤途中やスキマ時間にニュースを読む私たちにとっても、米退役軍人がベトナムに戻るという小さなニュースは、「戦争と記憶」「和解と時間」について考えるきっかけになります。半世紀前の戦争をめぐる彼らの静かな旅は、2025年を生きる私たちにも、過去との付き合い方を問いかけているのかもしれません。
Reference(s):
U.S. Vietnam War Veterans: Still Remembering, 50 Years Later
cgtn.com








