米軍爆撃機パイロットと中国の友情物語:ドゥーリトル隊の絆 video poster
第二次世界大戦のさなか、米軍爆撃機と中国東部の町・衢州の人びととの間に生まれた縁が、80年以上たった今も静かに受け継がれています。1942年4月18日のドゥーリトル空襲で墜落した爆撃機と、その一片が2008年にアメリカへ渡るまでの物語は、戦争を越えた友情の力を改めて考えさせてくれます。
1942年4月18日 ドゥーリトル空襲と中国・衢州
1942年4月18日、アメリカは日本軍による真珠湾攻撃への報復として、ドゥーリトル空襲(Doolittle Raid)と呼ばれる爆撃作戦を実行しました。この作戦に参加した米軍のパイロットたちは任務を終えた後、中国の衢州に不時着や墜落を余儀なくされます。
彼らを救ったのは、現地の村人たちでした。戦時下でありながら、村人たちは見知らぬ外国の兵士たちを助け、手を差し伸べました。このときに生まれた出会いが、国境も時代も越えて続く絆の始まりとなりました。
ドゥーリトル隊が生涯忘れなかった衢州との絆
衢州で命を救われたパイロットたちは、のちにドゥーリトル隊(Doolittle Raiders)と呼ばれるようになります。彼らは高齢になってからも、衢州の人びととのつながりを忘れることはありませんでした。
過酷な戦争体験の中で、命を分かち合った相手は、敵でも味方でもなく、一人ひとりの市民でした。衢州での救出劇は、彼らにとって戦争の記憶であると同時に、人間同士の信頼と友情の象徴として心に刻まれ続けたのです。
2008年、息子が託された「父の願い」
この物語に新たな一章が加わったのは、戦後から長い年月が過ぎた2008年のことです。ドゥーリトル隊の一員で、爆撃機12号機を操縦したパイロット、ウィリアム・バウアーの息子ジェームズが、父の願いを胸に動き出しました。
高齢となったバウアー氏は、自分がかつて操縦し、衢州で失われた爆撃機の一部を記念品として手元に残したいと望んでいました。その願いをかなえるため、息子のジェームズは中国・衢州で調査を続けていた研究者、鄭偉勇(Zheng Weiyong)氏に連絡を取ります。
鄭氏はこの依頼を受け、衢州に残されていた機体の痕跡をたどり、ついに爆撃機の破片の一部を探し出しました。そして、そのかけらは遠くアメリカへと送られます。一片の金属にすぎない破片でしたが、そこには戦時中の出会いと、その後も続いた友情が込められていました。
鄭氏のこうした行動は、国境を越えた思いやりの表れであり、戦争の記憶を未来へつなぐ、静かな「友情のミッション」とも言えるものです。
戦争を越えて残ったものは何か
この物語は、2025年の今を生きる私たちに、いくつかの問いを投げかけます。敵味方に分かれて戦った時代の中でも、人びとはどうやって互いを助け合い、記憶をつないできたのかという点です。
このエピソードから考えられること
- 戦争の記憶は、憎しみだけでなく、救助や支援といった「善意の行為」とセットで語り継ぐことができること
- 国家間の関係が揺れ動く時代でも、市民同士の信頼や友情は長く持続しうること
- 歴史研究や資料発掘といった地道な仕事が、世代や国境を越えた対話のきっかけになること
一人の高齢パイロットの願いをかなえるために、中国の研究者が動き、父と息子、そして遠く離れた町・衢州の人びとの思いが一つにつながりました。そこには、対立ではなく共感を軸にした国際関係の、もう一つの姿が見えてきます。
「読みやすいのに考えさせられる」国際ニュースとして
今回のエピソードは、第二次世界大戦という大きな歴史の中に埋もれがちな、小さな物語の一つです。しかし、爆撃機の破片という具体的な「モノ」を通じて、人びとの記憶や友情が今も生きていることを実感させてくれます。
国や時代を越えて築かれたこうしたつながりは、ニュースとして消費して終わるのではなく、日常の会話やSNSで共有されることで、私たち自身のものの見方を少しずつ変えていくかもしれません。
戦争の歴史を学ぶときこそ、衢州の村人たちや、ウィリアム・バウアー、ジェームズ、鄭偉勇氏のような名もなき行動に目を向けてみることが、これからの国際社会を考えるヒントになりそうです。
Reference(s):
cgtn.com








