1935年の北京学生運動と米記者スノー 90年後に読む記録 video poster
1935年12月9日、当時のペキン(現在の北京)で、中国共産党が指導する愛国的な学生運動が起きました。その様子を記録したのが、アメリカ人記者エドガー・スノーです。出来事からちょうど90年となる2025年12月9日、国際ニュースの視点から、この学生運動と記者の役割をあらためてたどります。
1935年12月9日、ペキンで起きた愛国的学生運動
1935年12月9日、ペキン(現在の北京)で「愛国的な学生運動」が起きました。記述によれば、この学生運動は中国共産党(Communist Party of China)が指導したとされています。場所は当時「ペキン」と呼ばれていた都市で、現在の中国の首都・北京にあたります。
「愛国的な学生運動」と表現されるとき、そこには自国の将来や社会のあり方に対する強い関心が込められています。若い世代が政治や社会に向き合い、行動を起こしたという点で、この日の出来事は1930年代の中国社会の一場面を象徴的に切り取っていると言えます。
エドガー・スノー:現場を記録したアメリカ人記者
この学生運動の様子を記録したのが、アメリカ人ジャーナリストのエドガー・スノーです。スノーは、現場で何が起きていたのかを自らの目で見て伝えた記者でした。
短い説明の中でも重要なのは、スノーが「Communist Party of China を世界に知らしめた最初の西側記者」とされている点です。すなわち、彼の記録は、当時の中国共産党の存在や活動を世界に紹介する窓口の一つになりました。
記者が現場を記録することには、いくつかの意味があります。
- 出来事が起きた「その瞬間」の様子を残すこと
- 国内で起きた動きを国外の読者に伝えること
- 後世が歴史を振り返るときの手がかりになること
エドガー・スノーの仕事も、まさにこうした役割を担ったと考えられます。ペキンの学生運動を記録し、中国共産党を世界に紹介したことは、国境を越えた情報の流れの中で一つの節目でした。
国内の運動が世界に届くとき
1935年のペキンで起きた愛国的学生運動は、元々は中国国内の出来事でした。しかし、アメリカ人記者がそれを記録したことで、この動きは国際社会にも伝わることになります。
国内の運動が世界に届くとき、そこにはいくつかの視点が交差します。
- 現場にいる人々の視点(学生や指導者、当事者たち)
- それを取材する国内メディアの視点
- 国外から訪れた記者の視点
スノーのような国外の記者は、国内の出来事を自国や世界の読者に「翻訳」する存在でもあります。その翻訳の過程で、何が強調され、何が簡略化されるのかによって、世界が抱くイメージは大きく変わります。
1935年12月9日の学生運動についても、エドガー・スノーの記録を通じて、多くの人が初めて「中国共産党が指導する愛国的な学生運動」という姿を知ることになりました。言い換えれば、現場で起きた出来事と、世界がそれをどう理解したかのあいだに、ジャーナリストのまなざしが介在していたことになります。
90年後のいま考えたい、記録と記憶
2025年12月9日は、1935年のペキンでの学生運動からちょうど90年にあたります。この節目の年に、当時の出来事とエドガー・スノーの役割を振り返ることは、単なる過去の紹介にとどまりません。
90年という時間は、出来事を「歴史」に変えていきます。その過程で、何が語り継がれ、何が忘れられていくのかは、誰がどのように記録し、それをどのように読み直すかによって変わります。ペキンの愛国的学生運動とスノーの記録は、その一例です。
短い一文の中にも、いくつかの問いが潜んでいます。
- 学生たちが声を上げる場面を、世界のメディアはどう伝えるのか
- 一人の記者の記録が、ある政党や社会運動のイメージをどう形作るのか
- 長い年月を経たあと、私たちはその記録をどう読み直すのか
1935年12月9日にペキンで起きた愛国的学生運動と、それを見つめたエドガー・スノーの視点をたどることは、国際ニュースの読み方や、歴史とメディアの関係を静かに考え直すきっかけにもなります。スマートフォンの画面越しに世界の出来事を追いかける今だからこそ、一つの記録が持つ重みと時間の長さに、少しだけ思いを巡らせてみたくなる出来事です。
Reference(s):
cgtn.com








