イスラエル軍、ガザ中部ネツァリム回廊から撤退 停戦合意の節目に
イスラエル軍が、ガザ地区を南北に分断してきた中部のネツァリム回廊から撤退しました。今年1月に発効したイスラエルとイスラム組織ハマスの停戦合意の一環とされ、ガザの人道状況と停戦の行方を左右する動きとして注目されています。
ネツァリム回廊とは ガザを南北に分断してきた細い線
ネツァリム回廊は、ガザ市の南側に位置し、イスラエルとの境界から地中海まで東西に延びる約4マイル(約6.4キロ)の地上ルートです。紛争の初期からイスラエル軍が掌握し、ガザ北部のコミュニティ、とりわけ最大の都市圏を南部から事実上切り離してきました。
この回廊を通らなければ、人や物資が北から南へ、またその逆へ移動することはほとんど不可能で、多くの住民にとってはまさに生死の通路となってきました。
撤退の発表と現地の変化
ハマスは、イスラエル軍がネツァリム回廊から撤退したと発表し、匿名のイスラエル治安当局者も、ガザ中部からの部隊撤収が進められていることを認めました。
イスラエル軍はすでに同地域での兵力を徐々に縮小しており、その後、ハマスが運営する警察組織が配置され、回廊を通過するパレスチナ人の移動を管理するようになりました。
停戦発効後、数千人規模のパレスチナ人がこの回廊を通って南部から北部へ戻り、自宅や地域の状況を確認しようとしました。
破壊された北部ガザ 帰還した住民の現実
長期の軍事作戦にさらされたガザ北部は、イスラエル軍の攻勢により深刻な被害を受けました。帰還した人々の多くは、かつての住宅地や商店街が瓦礫と化している光景に言葉を失ったと証言しています。
中には、イスラエル軍が駐留していた地域周辺で、遺体の一部とみられる遺骨を見つけたと語る人もおり、戦闘の激しさと長期化を物語っています。
自宅が完全に破壊されていた住民の一部は、再び南部の避難先へ戻らざるを得ませんでした。一方で、戻る場所がない人たちは、かつての自宅跡地に簡易テントを張り、生活再建の糸口を探っています。
停戦合意の第1段階とネツァリム回廊撤退
ガザをめぐる戦闘は、停戦が発効するまでに15カ月以上続いてきました。1月19日に発効した停戦合意は、イスラエルとハマスの間で結ばれた3段階構成の枠組みで、まず第1段階として42日間の停戦期間が設定されました。
この第1段階の合意の中で、イスラエル側はネツァリム回廊を含む一部地域から部隊を撤収することを約束していたとされ、今回の撤退はそうした約束の履行と位置づけられます。
停戦第1段階が中盤を過ぎた時点では、停戦を第2段階に移行させるかどうかをめぐって、カタールとエジプト、米国が仲介し、協議を進めることになっていました。第2段階では、さらなる人質やパレスチナ人被拘束者の解放が盛り込まれるとされ、国際社会の注目が集まっていました。
私兵契約の元米兵も検問に動員
停戦合意の発効後数週間の間に、元米軍兵士で民間契約社員として雇用された要員がネツァリム回廊に投入され、通過する車両の検査にあたっていたとされています。
こうした民間契約要員の活用は、治安管理の一部を外部に委ねる形とも言えますが、現場で暮らす住民にとっては、誰が権限を持ち、どのような基準で検問が行われているのかが見えにくくなる側面もあります。
ガザの人道状況と停戦の行方をどう見るか
ネツァリム回廊からの撤退により、南から北への移動は以前より可能になりましたが、帰還しても住む場所がない人が少なくないことが改めて浮き彫りになりました。
瓦礫の中にテントを張り、破壊された街での生活再建を模索する人々の姿は、停戦が合意されたからといってすぐに平穏な日常が戻るわけではない現実を示しています。
一方で、イスラエル軍の縮小や撤退が進むことは、停戦の履行度合いを示す一つの指標ともなります。停戦の各段階で、どこまで軍事力の行使が抑えられ、住民の自由な移動と生活再建が認められるのかは、今後も国際社会が注視すべきポイントです。
ガザの情勢をめぐる報道は、軍事面の動きだけでなく、帰還する市民の声、人道支援の現場、インフラ復旧の進み具合など、多角的な視点から追い続ける必要があります。ネツァリム回廊からの撤退は、その一つの重要な断面と言えるでしょう。
Reference(s):
cgtn.com








