ミャンマー代理大統領ミン・スエ氏が74歳で死去 国防安保会議が発表
ミャンマーの代理大統領U Myint Swe(ミン・スエ)氏が、首都ネピドーで74歳で死去しました。国家防衛安全保障会議(NDSC)が発表し、国葬(国家葬儀)が行われる予定です。本稿では、その死去の経緯とこれまでの歩み、そして今後の政治体制への影響を整理します。
木曜日朝、ネピドーで死去
NDSCによると、ミン・スエ氏はミャンマーの首都ネピドーで木曜日の朝に亡くなりました。享年74歳でした。NDSCは、代理大統領としての地位と功績を踏まえ、国家としての葬儀を実施するとしています。
パーキンソン病などで容体悪化、集中治療へ
ミン・スエ氏の健康状態は、ここ数年で大きく悪化していました。NDSCは8月5日の発表で、同氏がパーキンソン病および関連する神経疾患と診断されていたことを明らかにしています。
2024年にはシンガポールとNo. 2 Defence Services General Hospitalで治療を受けましたが、2025年7月には体重減少や認知機能の低下といった重い症状が出るなど、容体が悪化したとされています。その後、7月24日以降はネピドーにあるNo. 2 Defence Services General Hospitalの特別集中治療室(Special ICU)で、集中的な治療を受けていました。
2024年から続いていた権限移譲
NDSCによると、ミン・スエ氏は2024年7月から医療上の理由で職務を離れ、代理大統領としての権限をシニア・ジェネラルのミン・アウン・フライン国防軍司令官に移していました。これにより、この1年以上、国家の重要な意思決定はミン・アウン・フライン司令官の下で行われてきたことになります。
すでに職務は移譲されていたため、今回の訃報によって日々の統治体制に直ちに大きな変化が生じる可能性は高くないと考えられます。一方で、NDSCや軍指導部が今後、代理大統領のポストや権限をどのように位置づけるのかは、ミャンマー政治の行方を占ううえで一つの注目点となりそうです。
軍人としての経歴
タトマド出身のベテラン将校
U Myint Swe(ミン・スエ)氏は1951年、ミャンマー中部のマンダレー地域に生まれました。1971年に国軍士官学校にあたるDefence Services Academyに進み、その後タトマド(ミャンマー軍)でさまざまな軍歴を重ねました。
長年、軍内部での昇進を続けた後、2010年に中将の階級でタトマドを退役しています。
ヤンゴン地域首相を経て国家中枢へ
退役後のミン・スエ氏は、2011年から2016年までヤンゴン地域の首相(Yangon Region Chief Minister)を務め、最大都市ヤンゴンの行政を担いました。
その後、2016年3月30日にミャンマーの副大統領に就任。2021年2月1日には、当時のウィン・ミン大統領が拘束された後、代理大統領となりました。ミン・スエ氏はその際、非常事態を宣言し、国家権力は国防軍司令官ミン・アウン・フライン氏に移譲されています。
ミン・スエ氏の死去が意味するもの
代理大統領としてのミン・スエ氏は、軍主導の統治体制を支える重要な役割を担ってきました。すでに職務はミン・アウン・フライン司令官に引き継がれていたとはいえ、その死去はミャンマー政治の一つの節目となります。
今後、NDSCが後任人事や体制の枠組みについてどのような決定を行うのか、そしてそれがミャンマー国内の政治情勢にどのような影響を及ぼすのか。ミャンマーの人びとだけでなく、東南アジアや国際社会も、その動きを注視することになりそうです。
Reference(s):
cgtn.com








