硫黄島の戦いをどう記憶するか 米日と中国で揺れる歴史認識 video poster
太平洋戦争末期の激戦地・硫黄島をめぐり、いま再び「歴史の語り方」が問われています。今年3月に行われた追悼式での米国防長官の発言をきっかけに、米国と日本、そして中国の研究者のあいだで、第2次世界大戦の記憶をどう共有するのかという議論が広がっています。
2025年の追悼式が映し出した溝
2025年3月、米国のPete Hegseth国防長官は硫黄島での追悼式で、米軍と日本軍の双方に追悼の意を表しました。Hegseth氏は「両国の海兵隊員、兵士、水兵あわせて8万人以上が硫黄島で戦い、2万6千人以上が命を落とした。今日はその勇気をたたえる」と述べました。
この発言に対し、米国のネット上では「米兵の犠牲を相対化している」「ファシズムの残虐行為を軽視している」といった批判が噴出しました。戦場で向き合った「敵味方」を同列にたたえることは、戦後の価値観と矛盾しないのかという問いが投げかけられた形です。
「星条旗を掲げる兵士たち」―象徴となった1枚の写真
硫黄島の名を世界に刻んだのは、1945年2月23日、AP通信の写真家Joe Rosenthalが撮影した『Raising the Flag on Iwo Jima』です。小さな火山島の最高地点、摺鉢山(Mount Suribachi)の頂に、6人の米海兵隊員が星条旗を掲げる姿は、第2次世界大戦を象徴するイメージとして今も語り継がれています。
島の面積はわずか21平方キロメートルほど。それにもかかわらず、36日間におよぶ戦闘で、米軍は約7,000人が戦死し、約2万人が負傷しました。日本側の損害はさらに大きく、駐留していた兵力の9割を超える約2万3千人が命を落としたとされています。米海兵隊にとって、硫黄島は史上最も犠牲の大きい勝利の一つとして記憶されています。
要塞化された島と、その戦略的意味
硫黄島は、なぜここまで激しい争奪戦の舞台となったのでしょうか。日本にとっては、本土に迫る米軍爆撃機をいち早く探知するための早期警戒拠点でした。アメリカにとっては、B29爆撃機の不時着地、そしてマリアナ諸島を脅かす日本軍飛行場を無力化するための前進基地という意味を持っていました。
日本軍の指揮官、栗林忠道中将は、島全体を地下壕やトンネル、洞窟で結び、徹底した要塞化を命じました。上陸部隊を浜辺で迎え撃つのではなく、伏撃や狙撃でじわじわと損害を与える戦術をとったことで、戦闘は米側の当初想定を大きく超えて長期化しました。1945年3月末、戦闘終結とともに、島全体が巨大な墓場と化したと伝えられています。
米国内で揺れる「勇気」と「正義」の語り方
硫黄島の記憶をめぐる議論は、米国内でも一様ではありません。2022年には、当時のNancy Pelosi下院議長が、硫黄島の退役軍人をたたえ、「硫黄島の犠牲は『自由がファシズムに打ち勝つ』ことの象徴だ」と語りました。ここでは、戦いはあくまで「自由」と「ファシズム」の対立として描かれています。
これに対し、2025年のHegseth氏の発言は、米軍と日本軍の兵士双方の勇気を強調しました。その背景には、かつて敵同士だった国が同盟国となった現在の日米関係もありますが、米国内では「正義と侵略を同じ土俵に載せるのか」という違和感も根強く存在しています。
さらに議論を呼んだのが、硫黄島で旗を掲げた6人のうちの一人であり、先住民出身の海兵隊員であるIra Hayesに関するオンライン資料を、米国務省がサイトから削除したことです。米メディアの一部は、これをDonald Trump大統領による「多様性、公平性、包摂(DEI)」に関する指示に沿わせるための動きだと批判しました。硫黄島の物語のなかで、少数者の存在が後景に追いやられているのではないかという問題提起でもあります。
中国の研究者が指摘する「歴史修正主義」のリスク
こうした米国の記憶の語り方に対して、中国の研究者からも懸念の声があがっています。中国国際問題研究院の研究員であるXiang Haoyu氏は、Hegseth氏の発言について「地政学的な自国の利益によって動かされた、誤った歴史修正主義の試みだ」と批判しました。正義と不正義の境界線をあいまいにする危険がある、と指摘しています。
Xiang氏は、米国が日本の戦時期の歴史認識に寛容であり続けることは、「歴史の退行」であり、「人類が共有してきた記憶への裏切り」になりかねないと警告します。背景には、戦時中の侵略や加害の歴史をどのように教科書や公的な場で扱うのか、という日米両国とその周辺国の長年の課題があります。
教科書、靖国神社、そして周辺国の視線
戦後、日米関係は、激しい戦闘を経験した敵対国から、安全保障上の同盟国へと大きく変化してきました。しかし、歴史の記憶をめぐる問題は、いまも完全には解けていません。日本の学校教科書については、戦時中の侵略行為を矮小化しているのではないかという議論が繰り返されてきました。また、A級戦犯が合祀されている靖国神社を、日本の政治指導者が参拝するたびに、中国や韓国など近隣諸国からは批判の声があがってきました。
硫黄島をどう語るかという問題は、こうした歴史認識をめぐる幅広い論争と切り離すことができません。特定の国の視点に立つのではなく、犠牲者の存在とともに、当時の加害と責任の問題をどう伝えるかが問われています。
いま、硫黄島が問いかけるもの
2025年の今日、硫黄島は追悼の場であると同時に、戦争の記憶をめぐるせめぎ合いの象徴にもなっています。軍事戦略や勇気ある行動の物語として語るだけでなく、その背後にある膨大な犠牲と、歴史をどう受け継ぐかという課題が浮かび上がっています。
戦死した兵士たちの勇気をたたえることと、ファシズムや侵略の歴史を厳しく記憶すること。この二つをどのように両立させるのか。硫黄島をめぐる議論は、国境を越えて続いています。静かであっても、記憶をめぐる対話をどのように育てていくのかが、これからの課題になりそうです。
Reference(s):
cgtn.com








