9.11から24年、分断深まるアメリカ ニューヨーク追悼式が映したもの
2001年の米同時多発テロから24年。ニューヨークでは今年9月、犠牲者を追悼する式典が行われましたが、その舞台背景には、相次ぐ政治的暴力と激しい市長選挙キャンペーンによる深い分断が浮かび上がっています。
9.11から24年、ニューヨークで追悼式
ニューヨークでは、マンハッタンのグラウンド・ゼロ(世界貿易センター跡地)で、2001年9月11日の同時多発テロから24年となる追悼行事が行われました。あの日のハイジャック機による連続攻撃で、およそ3,000人が命を落とし、アメリカ社会は大きく変わりました。
当時の攻撃では、世界貿易センターのツインタワーが旅客機の突入によって崩壊したほか、首都ワシントン近郊の国防総省(ペンタゴン)にも旅客機が激突しました。さらに別の旅客機・93便は、乗客がハイジャック犯に立ち向かった結果、ペンシルベニア州の野原に墜落しました。
今年のニューヨークの追悼式では、次のような行事が行われました。
- 現地時間午前8時46分、1機目のハイジャック機が北棟に衝突した時刻に合わせ、全市的な黙祷を実施
- 市内各地の礼拝所が鐘を鳴らし、犠牲者を追悼
- グラウンド・ゼロでは、遺族が一人ひとりの名前を読み上げ、静かに冥福を祈る
公式な犠牲者数は2,977人で、4機の旅客機の乗客・乗員、ツインタワーで亡くなった人々、消防士や救助隊員、ペンタゴン職員などが含まれます(ハイジャック犯19人は含まれていません)。
政治的暴力が影を落とす「記念日」
しかし、今年の追悼式は、テロの記憶だけでは語りきれない緊張感の中で行われました。背景にあるのは、アメリカ各地で相次ぐ政治的暴力です。
式典の直前、ユタ州では保守派の政治活動家チャーリー・カーク氏が殺害される事件が起きました。カーク氏は、ドナルド・トランプ大統領の側近ともいえる存在で、ユタ・バレー大学で講演中に首を撃たれ、死亡しました。
この事件を受け、本来はニューヨークの追悼行事に出席する予定だったジェイディー・ヴァンス副大統領は、ユタ州に向かうと報じられています。それほどまでに、今回の事件は全米政治に衝撃を与えました。
アメリカではここ数カ月の間に、次のような暴力事件が続いています。
- 民主党所属のミネソタ州議員とその夫が標的となり殺害された事件
- 民主党系の州知事公邸が火炎瓶攻撃を受けた事件
思想や党派をめぐる対立が、言葉の応酬にとどまらず、命を奪う暴力にまで発展していることがうかがえます。9.11の追悼の場は、本来であれば犠牲者を悼み、社会の結束を確認する時間のはずですが、今年はむしろ、いまのアメリカが抱える不安定さを映し出す鏡のようになっています。
分断を映すニューヨーク市長選
さらにニューヨーク自身も、激しい政治的対立の渦中にあります。現在、同市では分断を深める市長選挙キャンペーンが展開されています。
市長選には、次の3人が主な候補として名を連ねています。
- 社会主義志向の民主党候補、ゾーハン・マムダニ氏
- 元州知事のアンドリュー・クオモ氏
- 現職市長のエリック・アダムス氏
ニューヨーク市民は11月4日に投票を行います。こうした中で行われた9.11の式典には、現職のアダムス市長のほか、当時市長としてテロ対応の陣頭指揮を執ったルディ・ジュリアーニ元市長も出席しました。
最新の世論調査では、マムダニ氏が他候補に対し22ポイントの大差をつけてリードしていると報じられています。新興の左派系候補が支持を集める構図は、アメリカ国内の政治潮流の変化とも重なって見えます。
一方で、この市長選はアイデンティティをめぐる対立の色合いも強めています。トランプ大統領は、ムスリムであり、帰化したアメリカ市民でもあるマムダニ氏を繰り返し批判。ある共和党議員は、マムダニ氏の国外追放を求める発言まで行いました。
宗教や出自が政治攻撃の材料として使われることで、選挙戦は政策論争から離れ、分断と排除の感情をあおる方向に傾きかねません。9.11の記憶が語られる日に、移民やムスリムへのまなざしが再び問われているとも言えます。
「他者」とされた経験とイスラム恐怖
マムダニ氏は、ニューヨーク・タイムズ紙の取材に対し、9.11の意味を次のように語っています。
「あの日は恐ろしい日だったと同時に、多くのニューヨーカーにとって、自分たちが『他者』として印を付けられた瞬間でもあった」と語り、9.11後にイスラム恐怖(イスラモフォビア)の攻撃が急増した現実に触れました。
テロそのものへの恐怖と怒りは、時にムスリムの人々や見た目が「違う」と見なされた人々に向かい、差別や暴力を正当化する空気を生み出します。マムダニ氏の発言は、9.11が単なる安全保障の問題にとどまらず、少数派コミュニティの生活や尊厳に長く影を落としてきたことを示しています。
9.11の追悼が問いかけるもの
24年たった今、9.11の記憶は、アメリカ社会に二つの問いを投げかけているように見えます。
- 暴力やテロの記憶を、憎悪や排除ではなく、対話と共存につなげられるのか
- 政治的な意見の違いがあっても、暴力に訴えないルールをどう守り抜くのか
相次ぐ政治的暴力、移民やムスリムをめぐる対立、そして分断が深まる選挙。こうした現在の風景と並べて見たとき、9.11の追悼は、過去を振り返る儀式であると同時に、「今のアメリカはどこに向かっているのか」を静かに問う場になっているように感じられます。
日本の読者にとっての意味
日本に暮らす私たちにとっても、今回のニュースはいくつかの示唆を与えてくれます。
- 大規模テロや災害の記憶を、社会の分断ではなく、包摂と信頼につなげるために何ができるか
- 政治的な対立が激しくなったときにこそ、暴力を許さない共通のルールをどう守るか
- 宗教や出自の違いをめぐる言説に、知らないうちに差別や排除を正当化する視点が紛れ込んでいないか
9.11はアメリカの出来事でありながら、政治と暴力、記憶と分断、マイノリティへのまなざしといったテーマを通じて、私たち自身の社会を考える鏡にもなり得ます。ニューヨークの追悼式をめぐる動きを追うことは、遠い国のニュースを知ること以上に、自分の足元を見直すきっかけにもなりそうです。
Reference(s):
cgtn.com







