北極圏は転換点目前か アークティック・サークル会議が映す科学外交 video poster
北極の気候危機と大国間対立が交差する中、科学を軸にした協力はどこまで守れるのでしょうか。その答えを探る場として、2025年10月にアイスランドのレイキャビクでアークティック・サークル会議が開かれました。
アイスランドで開かれた北極協力の巨大フォーラム
10月中旬、レイキャビクに降り立つと、空気の中にかすかな硫黄のにおいを感じることがあります。これは、地熱発電や地域暖房に利用されている温水に含まれる硫化水素によるものです。この独特のにおいは、アイスランドにとって貴重な再生可能エネルギーの象徴でもあります。
アイスランドでは、家庭の約9割が地熱エネルギーで暖房をまかなっているとされ、世界でも有数のグリーンな国の一つと見なされています。気候変動の影響を特に受けやすい北極圏に位置する島国にとって、脱炭素への移行は経済政策にとどまらず、生存戦略という重い意味を持っています。
約70カ国が集まるアークティック・サークル会議
こうした背景の下、ヨーロッパ、アジア、北米、中東など世界各地からおよそ70カ国の参加者がレイキャビクに集まりました。アークティック・サークル会議は、北極圏に関する協力の場として世界最大級のプラットフォームとされ、今年もガバナンス(地域のルールづくり)や持続可能性、先住民族コミュニティの保護、科学協力など幅広いテーマが議論されました。
開幕セッションの一つは「トランプとプーチンが同じ部屋にいたら、北極での多国間主義は生き残れるか」という挑発的なタイトルで注目を集めました。対立が先鋭化する世界で、各国は明日の課題に向けて、なお協調できるのか――この問いが会議全体の基調となりました。
分岐点に立つ北極評議会
北極圏をめぐる制度的な枠組みの中心にあるのが、1996年に設立された北極評議会です。メンバーはカナダ、デンマーク、フィンランド、アイスランド、ノルウェー、スウェーデン、ロシア、アメリカの8カ国で、これに中国、インド、日本、韓国、シンガポールなど13のオブザーバー国が加わっています。中国やインド、日本、韓国、シンガポールは2013年にオブザーバーとして参加しました。
今年のアークティック・サークル会議では、この北極評議会のあり方をめぐって意見が分かれました。参加国を増やして枠組みを再設計すべきだという声がある一方で、既に存在している、あるいは新たに生まれつつあるリスクに慎重であるべきだという指摘も出ています。
ロシアをどう位置づけるか
議論の焦点の一つはロシアです。ロシアは北極圏の海岸線のおよそ半分を抱えており、資源開発や海上交通の観点からも欠かせない存在です。その一方で、西側諸国は、北極においてロシアとの関係をどの程度まで切り離すべきかという難しい判断を迫られています。
2022年にロシアとウクライナの間で軍事的な対立が始まった当時、北極評議会の議長国はロシアでした。この対立を受けて、多くの北極圏の国々はロシアとの関与を停止、あるいは大幅に制限しました。アイスランド駐在のドイツ大使クラリッサ・ドゥヴィニョー氏は「私たちがロシアと協力していない理由を忘れてはなりません。それはロシアが私たちの隣国を攻撃したからです」と語り、厳しい姿勢を示しました。
その後、2023年5月にノルウェーが議長国を引き継ぎ、現在はデンマークが議長国を務めています。体制は移行しましたが、ロシアとの距離感をどう設計するかという問題は解消されていません。
科学外交で対立を乗り越えられるか
こうした緊張感の中で、対話の重要性を訴えているのが、非営利組織アークティック・サークルの議長を務めるオラヴィル・ラグナル・グリムソン元アイスランド大統領です。グリムソン氏はCGTNのインタビューで、世界は「転換点」に近づいていると警告し、地政学的な対立が北極での科学協力を損ないつつあると指摘しました。
同氏は「冷戦期には、いまよりもソ連と西側の間で科学協力が行われていた」と振り返り、「私たちは非常に難しい状況にある」と述べています。そのうえで、「一部の分野で見られる中国と米国の緊張は、これまでのところ北極での科学協力に大きな影響を与えていない」とも語り、北極がなお協力の余地を残した稀有な舞台であることを示唆しました。
グリムソン氏が強調する「科学外交」とは、気候変動や公衆衛生のように国境を越える課題について、科学者同士のネットワークや共同研究を通じて国家間の橋渡しを行うアプローチを指します。軍事や安全保障の対立を完全に解消することはできなくても、データや観測結果を共有し続けることで、北極圏の変化を正確に把握し、世界全体のリスクを抑えることが期待されています。
米中緊張の中で残された協力の窓
現在、世界のさまざまな場面で中国とアメリカの関係が注目されていますが、グリムソン氏の見立てでは、その緊張は北極における科学協力を大きく損なってはいません。これは、北極が気候変動や海洋観測といった、人類共通の利益が前面に出やすい分野であることと無関係ではないでしょう。
各国が政治的な立場の違いを抱えながらも、観測データの共有や共同研究プロジェクトを通じて対話を続けることができれば、それ自体が信頼醸成の一歩となります。科学的知見を土台にした「静かな協力」をどこまで維持できるかが、これからの北極協力の成否を左右しそうです。
日本とアジアにとっての意味
北極圏の変化は、遠い氷の世界だけの話ではありません。海氷の減少や気温の上昇は、世界各地の異常気象や海面上昇を通じて、日本を含むアジアの国々にも影響を及ぼします。北極圏は、地球全体の気候システムの「警報装置」のような存在だとも言えます。
北極評議会のオブザーバー国には中国、インド、日本、韓国、シンガポールといったアジアの国々も名を連ねており、北極のルールづくりや研究協力に関与し始めています。こうした国々にとっても、北極での科学外交が機能するかどうかは、自国の安全保障や経済にも長期的な影響を与えるテーマです。
今回の会議から見えてくる主なポイントをまとめると、次のようになります。
- 北極圏は気候変動の最前線であり、その変化は世界中の天候や海面に波及する。
- ロシアとの関係を含め、地政学的な対立が北極協力の枠組みを揺るがしている。
- それでもなお、北極は中国やアメリカ、欧州、アジア諸国が科学協力を続けている数少ない舞台の一つである。
- アイスランドの地熱利用に象徴されるように、エネルギー転換の成否は北極圏だけでなく地球全体の持続可能性を左右する。
多国間主義をどう守るか
アークティック・サークル会議の開幕セッションが投げかけた問いは、北極だけに当てはまるものではありません。各国が対立する課題を抱えながらも、気候変動のような共通のリスクに対してどこまで協調できるのか。多国間主義を守り抜けるかどうかは、北極圏の未来だけでなく、私たちの日常生活にも静かに影響していきます。
グリムソン氏が指摘するように、世界は「転換点」に近づいています。その分岐点で、科学と外交をどう結びつけるのか。北極圏という遠い地域で交わされている議論は、日本に暮らす私たちにとっても、自国のエネルギー政策や国際協力のあり方を考え直すきっかけになりそうです。
Reference(s):
'We're close to a tipping point,' Arctic Circle chairman tells CGTN
cgtn.com








