ブラック・ヒストリー・マンス100年、コートジボワールは「アフリカ映画」で語り直す video poster
2026年はブラック・ヒストリー・マンス(黒人の歴史を学び、共有する月間)が始まって100年。米国で1926年に始まったこの取り組みは、いまや世界へ広がり、コートジボワールでは「アフリカの物語を誰が語るのか」を映画から問い直す場になっています。
100周年の節目に、コートジボワールで広がる“映画”の対話
ブラック・ヒストリー・マンスは、当初、若いアフリカ系米国人に見落とされがちだった歴史的貢献を伝えるために始まりました。奴隷貿易の影響や公民権運動の歩みなど、社会の記憶からこぼれ落ちやすい経験を学び直すことが柱でした。
その観察と学びの枠組みは、近年、米国に限らない「グローバルな記憶の場」としても機能するようになっています。コートジボワールでは今回、国内で7回目となるブラック・ヒストリー・マンスの催しが開かれ、コミュニティの参加者が集い、アフリカの物語を映画がどう形づくってきたかを見つめています。
2026年のテーマは「映画的帝国主義」——“表象の権利”を問う
コートジボワールの2026年版が掲げた中心テーマは「映画的帝国主義」。これは、アフリカを誰が代表し、誰がアフリカの物語を語り、世界に届けるのかという問いを、映画というメディアを通じて掘り下げる視点です。
企画には、パネルディスカッション、上映会、プレゼンテーションなどが含まれ、伝統文化の継承から現代的な課題までを横断しながら、参加者同士のつながりと対話を促す構成になっています。
「うまくいかなかったことを見つめ、未来への提案を」
コートジボワールのブラック・ヒストリー・マンスの俳優・アンバサダーであるカネ・マウラ氏は、今年の狙いを次のように語ります。
「今年のテーマは映画的帝国主義です。誰がアフリカを代表する権利を持つのか? 誰がアフリカの物語を語る権利を持つのか? 私たちは一歩引いて、何がうまくいかなかったのかを振り返り、未来への提案をしたいのです。歴史を知る人がこのプロジェクトに参加し、次世代がいまの取り組みを目撃できるようにする時間でもあります。コートジボワールのブラック・ヒストリー・マンスの影響は大きい。人々をルーツへ連れ戻し、自分がどこから来たのかを理解させてくれるのです」
「現在」と「歴史」をつなぐ——多様な文化と若い世代へのまなざし
この催しが重視するのは、過去を“知識”として扱うだけではなく、現在の経験と歴史的ルーツをつなげ直すことです。コートジボワールの文化的多様性と、アフリカの豊かな歴史を改めて照らし、若い世代が自らの背景に誇りを持つきっかけをつくろうとしています。
歴史家・研究者のニアンゴ・セルジュ・アラン氏は、こうした振り返りの意味を次のように表現します。
「アフリカが植民地化の“副産物”のままであれば、繁栄は難しいでしょう。コートジボワールのブラック・ヒストリー・マンスは、私たちに起源と未来を思い出させます。特に若者にとって重要です」
映画は“生きたアーカイブ”——記憶を残し、語りの主導権を取り戻す
映画は娯楽であると同時に、社会の記憶を保存し、次に手渡す装置でもあります。今回のプログラムでは、文化的なニュアンスを現代の表現へ落とし込みながら、コートジボワールやアフリカの若者が共有する遺産へ接続し直すことが奨励されています。
コートジボワールのブラック・ヒストリー・マンス賞を受賞した映画監督のタクー・ダッシー氏は、自身の制作動機をこう語っています。
「コンテストのテーマが、私たちの遺産、つまりアフリカについて語ることを促してくれたので、強く動機づけられました。植民地化と宗教の到来で、私たちは伝統やスピリチュアリティへの差別を経験しました。私の映画では、アフリカの精神性を強調し、文化を見出し、価値づける重要性を描きたかった。私たちは自分たちの物語を語り、遺産を広める必要がある。自分たちを価値づけるのは私たち次第です」
いま、なぜ「誰が語るのか」がニュースになるのか
ブラック・ヒストリー・マンス100周年という節目の2026年、コートジボワールの議論が示すのは、歴史の“内容”だけでなく、歴史がどの視点で、どんな言葉と映像で語られてきたのかが、未来の想像力を左右しうるという感覚です。
映画を「集団の記憶」として扱うことは、過去の出来事を固定化するのではなく、語りの偏りや沈黙を点検し、別の語り口を増やしていく試みにもつながります。上映と対話が続くなかで、参加者がどんな“次の一文”を提案していくのかが注目されます。
Reference(s):
Ivorians mark 100 years of Black history through African cinema
cgtn.com








