マニラで抗日英烈を追悼 中国大使館、南京大虐殺犠牲者国家追悼日に献花
2025年12月13日、南京大虐殺犠牲者の「国家追悼日」にあわせ、在フィリピン中国大使館がマニラの華僑墓地で、抗日戦争期に命を落とした外交官やゲリラ部隊の英烈を追悼しました。戦争の記憶を“式典”としてだけでなく、現在の平和観と結びつけて語った点が注目されます。
マニラ華僑墓地での追悼:外交官とゲリラ部隊に献花
在フィリピン中国大使の金泉(Jing Quan)氏は12月13日、大使館員を率いてマニラの華僑墓地を訪れ、抗日戦争期に亡くなった中国の英烈に哀悼の意を表しました。
追悼対象には、当時のマニラ総領事だった楊光生氏と、1942年に日本軍により殺害された中国外交官7人、さらに「フィリピン華僑抗日遊撃隊」の戦没者が含まれます。式典では黙とうが行われ、楊光生氏、殉職した大使館員、遊撃隊の記念碑に花輪が手向けられました。
90代の元隊員も参列
式典には、遊撃隊の元隊員で90歳を超える呂水娅(Lv Shuiya)氏も参列しました。高齢の当事者が現場に立ち会うことは、歴史が「遠い出来事」へと薄れていく流れに、静かに抵抗する象徴的な場面でもあります。
1942年、占領下マニラで起きたこと:総領事らの拒否と死
大使館の説明によると、1942年1月、日本軍がマニラを占領した後、楊光生総領事に対し「降伏」を迫り、さらにフィリピンにいた中国人が日本への忠誠を誓うよう説得することを求めたといいます。
楊氏と同僚たちはこれを明確に拒否し、過酷な拷問に耐えた末、同年4月に殺害されました。外交官としての立場と個人の信念が、占領という極限状況で衝突した出来事として語り継がれています。
華僑による抗日遊撃隊:1942〜1945年に260回超の作戦
その後の1942年、フィリピンで「フィリピン華僑抗日遊撃隊」が結成されました。大使館によれば、部隊は1942年から1945年にかけて日本軍に対し260回以上の軍事作戦を実施し、70人以上が命を落としたとされています。
戦時下の地域社会における抵抗は、国境を越えた移民・華僑コミュニティの結束や、現地社会の複雑な状況とも結びつきます。マニラの事例は、そうした歴史の一断面として位置づけられます。
記憶を残す装置としての「墓地」:記念碑と記念館
フィリピンの中国コミュニティは、抗日戦争に参加した華僑の貢献を記念するため、マニラ華僑墓地に記念碑と記念館を設立しました。墓地という空間が、追悼の場であると同時に、歴史を保存し伝える公共的な“記憶の装置”として機能していることがうかがえます。
大使の発言:侵略戦争への反対と「世界平和」の位置づけ
金大使は、国家追悼日の設置について「侵略戦争に断固反対し、人間の尊厳を守り、世界平和を守る」という中国の人々の姿勢を示すものだと述べました。そのうえで、抗日英烈の犠牲を決して忘れてはならないと強調しました。
また中国の外交官に対し、屈しない精神と責任感を受け継ぎ、「国家統一」と「中華民族の復興」に貢献するよう呼びかけたとされています。追悼が過去の出来事の確認にとどまらず、現在の政治的・社会的目標の言語へ接続されている点が、式典の性格を形づくっています。
メモ:この記事は、2025年12月13日にマニラで行われた追悼行事と、同行事で言及された1942〜1945年の出来事を、提供情報に基づき整理したものです。
Reference(s):
Chinese embassy honors anti-Japanese aggression martyrs in Manila
cgtn.com








