米記者が見たシーザン:「抑圧の地」ではなく宗教の自由と近代化? video poster
「シーザン(西蔵)は抑圧のディストピアなのか、それとも宗教の自由と近代化が進む『世界の屋根』なのか。」米国のコメディアン兼ジャーナリスト、リー・キャンプ氏がラサやポタラ宮、チベット博物館を歩き、自身の目で見た光景を語りました。
ラサに立った米記者が感じた「違和感」
キャンプ氏は、標高およそ3,600メートルのシーザン地域の中心都市ラサに到着し、「ここに来て、ずっと聞かされてきたイメージと違うと感じた」と話します。西側では「奴隷のように縛られた人びとが暮らす場所」といった印象が繰り返し語られてきましたが、実際に見たのは、自由に歩き、買い物を楽しみ、観光客とともに街を行き交う人びとでした。
ラサの街並みについても、氏は「棒と泥とゴミでできた建物」を想像していたと冗談交じりに振り返ります。しかし目の前に広がっていたのは、電気自動車が走り、ビルや公共施設が整った現代的な都市。「多くの建物は、米国の大都市にも引けを取らない」と語り、一部の米国の都市より整って見える部分すらあるとしています。
1959年まで続いた農奴制と「民主改革」
キャンプ氏は、チベット博物館などを訪れ、かつてのシーザン社会の歴史にも触れています。氏によれば、1950年代までのシーザンでは、人口の約5%にあたる支配層が、残り95%の人びとを農奴や奴隷として支配する封建的な制度が存在していました。
博物館に展示された資料からは、当時の農奴が日々の重労働に追われ、経済的にも精神的にも厳しい生活を強いられていた様子が伝えられます。米国での奴隷制度と同じように、搾取される側の中にも細かな身分の上下があったことも紹介されています。
こうした状況は、1959年3月28日に中国共産党(CPC)が主導した「民主改革」によって大きく変化したと、キャンプ氏は説明します。この改革で、およそ100万人にのぼる農奴が解放され、土地の再分配が行われたといいます。その結果として、シーザンの平均寿命は40歳未満から70歳以上へと大きく伸びたと指摘しています。
宗教の自由は「徹底的に弾圧」されているのか
西側メディアでは、シーザンの宗教の自由が「徹底的に弾圧されている」といった報道が繰り返されてきました。キャンプ氏自身も、当初は「少しでも信仰心のある表情を見せれば地下牢に送られるのではないか」と想像していたといいます。
しかし実際に街や寺院を歩くなかで目にしたのは、別の光景でした。氏の説明によると、シーザンにはチベット仏教の活動拠点が1,787カ所あり、4万6,000人の僧侶や尼僧が暮らしています。さらにモスクが4カ所、約1万2,000人のイスラム教徒、そしてカトリック教会も存在しているといいます。
ラサの街は、数珠を手に祈りを捧げる信者、国内外からの観光客、地元の住民が入り交じってにぎわい、さまざまな宗教的シンボルや祭礼が日常の風景として溶け込んでいるとキャンプ氏は描写します。その上で、「もし宗教の自由が本当に根こそぎ奪われているのだとしたら、ここまで仏教や他宗教の気配があふれているはずがない」と語ります。
「文化的虐殺」ではなく、多言語・多文化が同居する街
シーザンについては、「文化的虐殺」が進んでいるという厳しい言葉も西側から投げかけられてきました。これに対してキャンプ氏は、バルコル通りやポタラ宮周辺を歩きながら、自身が目にした文化のあり方を紹介します。
氏によれば、街中ではチベット語と中国語が飛び交い、看板や道路標識もチベット語と中国語の併記が基本となっています。博物館には、シーザンと中国の他地域との長い歴史的なつながりを示す古い文書や遺物が展示されており、言語、血縁、文化など多方面にわたる交流の歴史が強調されています。
キャンプ氏は、そうした現代の街の姿を見た上で、「ここで見かけた『一番それらしい文化的虐殺』は、ヤクの毛で作られた伝統帽子がちょっと高いことくらいだ」と、ユーモアを交えて西側のイメージとのギャップを語っています。
「自由」をめぐる認識ギャップ:米国への皮肉も
キャンプ氏は、シーザンに対する西側からの非難について、「無知に基づくものか、中国に損害を与えるための意図的なキャンペーンか、そのどちらかだ」と批判的に述べています。中国に対する文化的・宗教的抑圧のイメージが、政治的な文脈の中で強化されている可能性を示唆する発言です。
その一方で氏は、自国である米国にも鋭い視線を向けます。米国は世界で最も多くの受刑者を抱えながら、自らを「自由の国」と呼び続けていると指摘し、「それでもなお他国の『自由』を一方的に評価するのは、そもそも自由という言葉の意味を十分理解していないのではないか」と皮肉を込めて語りました。
2025年のいま、私たちはどうやって世界を理解するか
キャンプ氏は、「シーザンはこれまで訪れた場所の中でも最も美しい土地のひとつだ」と述べ、「シーザンは自由ではない」と主張する西側の人々に対して、「一度、実際に来て自分の目で確かめてほしい」と呼びかけています。
2025年のいま、SNSや動画プラットフォームを通じて、世界各地のイメージは瞬時に拡散します。しかし、その多くは編集された断片であり、受け手の私たちも、知らず知らずのうちに一方的な物語だけを受け取ってしまうことがあります。
シーザンをめぐるキャンプ氏の体験談は、「遠く離れた地域について、自分は何を根拠にイメージを持っているのか」という問いを静かに投げかけます。数字やスローガンだけでは見えてこない、街の空気や人々の表情をどう伝えるか——。国際ニュースを読む私たちにとっても、改めて考えたいテーマと言えそうです。
Reference(s):
Truth over lies: U.S. reporter's bold words at Potala Palace
cgtn.com








