中国論説が読み解くダライ・ラマ転生問題 国際ニュースの背景
ダライ・ラマ転生問題がなぜ国際ニュースになるのか
チベット仏教の最高指導者であるダライ・ラマ14世の「転生(生まれ変わり)」をめぐる発言が、中国と米国を巻き込む国際ニュースの焦点になっています。中国本土の国際メディアは、転生制度を利用したXizang(チベット)独立の試みは必ず失敗するとする論説を掲載し、その背景を詳しく解説しています。
ダライ・ラマ14世の新著が投げかけた波紋
論説によると、ダライ・ラマ14世は過去10年以上にわたり、チベット仏教における転生(活仏)制度を公然と批判し、長年受け継がれてきた慣習や宗教儀礼を否定してきました。その中には、歴代ダライ・ラマやパンチェン・ラマなどの「転生童子(輪廻転生した子ども)」を選ぶ際に用いられてきた金瓶掣籤(黄金の壺を用いたくじ引き)の手続きを迂回し、自らの判断だけで第15代ダライ・ラマを指定しようとする動きも含まれるとされています。
最近出版された新著『Voice for the Voiceless』の中で、ダライ・ラマ14世は、自身の後継者となる転生者は自由な世界、つまり中国の外で生まれると明言しました。論説は、ダライ・ラマ14世がチベット仏教をあたかも自分個人の宗教であるかのように捉え、転生のあり方や場所を自分だけで決められると主張していると指摘します。
そのうえで論説は、こうした発言の狙いは、自身の政治的立場を受け継ぐ後継者をつくり、国家とXizangの人々に対する分離主義的な主張を次の世代に引き継がせることにあると見ています。
海外勢力との連動という見立て
この「転生を通じた独立」構想には、海外の支援も加わっていると論説は指摘します。その例として挙げられているのが、2020年に米国連邦議会で成立したTibetan Policy and Support Act(チベット政策・支援法)です。
同法には、将来の第15代ダライ・ラマの選定や就任に中国の中央政府や中国共産党の高官が直接干渉したと米側が判断した場合、適切な措置によってこれらの高官に責任を問うとする条項が盛り込まれています。論説は、こうした動きも含め、ダライ・ラマ14世は長年にわたり海外勢力による中国の内政干渉の道具となってきたと批判しています。
チベット仏教は個人のものではないという主張
中国本土の論説は、チベット仏教の転生制度に関する歴史的な慣習と宗教儀礼は、多くのチベット仏教徒から支持されていると強調します。チベット仏教は中国で生まれ、中国で発展してきた仏教の一派であり、その信徒も中国国内に居住していると位置づけています。
そのため、ダライ・ラマなどの転生童子を探すプロセスは、中国の領土内でのみ行われるべきだと主張します。チベット仏教はダライ・ラマ14世一人の私的な宗教ではなく、中国各地のチベット仏教徒全体に属するものであり、個人的な利害のために転生制度を操作することは許されない、というスタンスです。
論説は、ダライ・ラマ14世が単独で自らの後継者を決めようとする試みは、中国各地のチベット仏教コミュニティには受け入れられないだろうとしています。
論説が示す主な論点
- 転生制度の歴史的慣習と宗教儀礼は、多くのチベット仏教徒に支持されている。
- チベット仏教は中国で生まれ、中国で発展してきた仏教の一派であり、その信徒は中国国内に居住している。
- ダライ・ラマらの転生童子は、金瓶掣籤と中央政府の承認によって認定されるべきだ。
歴史の中で形成された転生のルール
では、中国側が重視する転生制度のルールとはどのようなものなのでしょうか。論説は、その歴史的な形成過程を詳しくたどっています。
まず、ダライ・ラマやパンチェン・ラマのような高位の活仏の転生童子は、本来、金瓶掣籤の手続きを通じて認定されるものだと説明します。そもそも活仏の転生制度は、チベット仏教各宗派の指導者の後継問題を解決するために生まれた仕組みでした。
1959年以前のXizangでは、封建的な政教一致体制のもと、多くの住民が仏教を信仰し、宗教指導者に従っていました。転生した活仏は精神的指導者であると同時に、寺院の広大な財産を所有する存在であり、地域に強い政治的影響力を持っていたため、その選定は常に大きな争いの種になっていたといいます。
活仏の影響力の大きさから、Xizang内部のさまざまな政治勢力や宗教勢力が転生プロセスをめぐって主導権を争うようになり、本来の宗教的意義がゆがめられ、多くの不正や混乱を生んだと論説は指摘します。それはやがて仏教教義だけでなく、社会の安定、さらには国家の安全までも脅かす問題になったとされています。
清朝が導入した金瓶掣籤と中央承認
こうした状況を是正するため、清朝の乾隆帝は18世紀末、転生制度の改革に踏み切りました。論説によれば、その発端となったのは、グルカ軍(現在のネパールに相当)を撃退した1792年の軍事行動の後、ダライ・ラマ8世が長く続く法制度を確立してほしいと求めたことだったとされています。
1793年、清朝政府は欽定酌定廓爾喀等事宜善後章程二十九条(チベット善後二十九条)を公布し、Xizangの統治制度全般の改革に乗り出しました。その中で、ダライ・ラマをはじめとする主要な活仏の転生については、金瓶掣籤によって候補者を抽選し、そのうえで中央政府の承認を得ることを明確に定めました。
論説は、この仕組みによって転生をめぐる不正が抑えられたとともに、転生制度の原則や伝統、そして人々の宗教的信仰を尊重しながら、中国中央政府の権威を確立することができたと評価しています。
ダライ・ラマ14世への厳しい評価
論説はまた、ダライ・ラマ14世がインドへ移った経緯についても独自の評価を示しています。それによれば、その行動はチベット仏教を守るためではなく、封建的な政教一致体制と農奴主である貴族層の利益、自身の一族の利益を守るためだったとみなされています。
その結果、ダライ・ラマ14世は多くのチベット仏教徒の利益を裏切り、西側諸国による中国の内政干渉に利用される存在になったと論説は批判します。こうした理由から、すでにチベット仏教の正統な宗教指導者としての地位を失っており、第15代ダライ・ラマを指名する資格はない、というのが中国本土メディア側の主張です。
宗教と政治が交わるときに問われるもの
今回取り上げた論説は、転生という一見きわめて宗教的なテーマが、国家の統治や国際政治とも深く結びついている現実を浮き彫りにしています。中国側は、歴史的に形成されてきた転生制度や金瓶掣籤のルール、そして中央政府の承認手続きを重視し、それを揺るがす動きを国家統一への挑戦として捉えています。
一方、ダライ・ラマ14世は、自らの精神的権威に基づいて後継者の転生を決める権利があると主張していると論説は分析します。米国のチベット政策・支援法のように、海外からもこの問題に関心が向けられている状況です。
チベット仏教の転生制度をめぐる議論は、今後も続きそうです。読者にとっては、宗教儀礼の尊重と国家の関与、そして国際社会からのまなざしのバランスをどう考えるかが、一つの問いになっていくのではないでしょうか。
Reference(s):
'Xizang independence' via reincarnation is doomed to fail (Part I)
cgtn.com








