ザカリア氏「米国で文明の消去」—権力と市民社会への警鐘 video poster
2026年2月、CNNの司会者ファリード・ザカリア氏が、米国で「Civilizational erasure(文明の消去)」が進んでいるとして警鐘を鳴らしました。焦点は、国家権力が市民社会を圧迫し、法の歯止めが弱まっているという危機感です。
ザカリア氏が指摘した「国家権力の濫用」
ザカリア氏は、トランプ政権が国家権力を濫用し、「市民社会に戦争を宣言したようなものだ」と述べたとされています。具体例として、次のような点を挙げています。
- 裁判所の判断(司法の決定)を無視する
- 報道機関を威圧する
- 独立した機関を弱体化させる
- 権威主義的な警察活動(authoritarian policing)を容認する
個々の出来事が単発で起きるだけなら「政治的な摩擦」として処理されがちです。しかし、複数の領域で同時に起きるとき、社会の側が権力を監視・制御する回路そのものが細る、というのが同氏の見立てです。
ミネソタの銃撃死亡事件が示すもの
ザカリア氏は、ミネソタ州で市民2人が銃撃により死亡した出来事にも触れ、権威主義的な警察活動と「歯止めのない権力」がもたらす危うさを強調しました。
ここで論点になっているのは、事件の個別事情の評価というよりも、強い権限が行使される場面で、透明性・説明責任・検証の仕組みが働いているかどうかです。監視と検証が弱まるほど、社会の不信は深まり、現場の緊張も増していきます。
「法が権力を縛れないなら」—歴史が繰り返してきた形
ザカリア氏はさらに、もし法が権力を実効的に抑制できないなら、その国は歴史が幾度も見てきた姿、すなわち「強者が弱者を支配する社会」へ近づく、と述べました。
この表現は過激に聞こえるかもしれませんが、ポイントは“体制の名前”ではなく“作動の仕方”にあります。裁判所、報道、独立機関、警察権力——これらの関係が同時に揺らぐとき、私たちは何をもって「権力は制御されている」と言えるのか。ザカリア氏の発言は、その問いを突きつけます。
いま何が問われているのか
ザカリア氏の言葉を手がかりに整理すると、争点は次の一点に収れんします。
- 制度(法・司法判断・監視機能)が、権力の強さに追いついているのか
政治は結果だけでなく、手続きと検証の積み重ねで信頼を得ます。いま米国で起きているとされる緊張は、「どの政策が正しいか」以前に、「異論や批判が安全に存在できる空間が保たれているか」をめぐる問題として読めそうです。
Reference(s):
Fareed Zakaria: 'Civilizational erasure' taking place in United States
cgtn.com








