イラク戦争を悔いる米退役兵 そこにいるべきではなかったと語る video poster
イラク戦争をめぐるアメリカ退役軍人の一言が、戦争の意味とその代償をあらためて問い直しています。2007年、バグダッドの一角で起きた攻撃と、その後に残った心の傷をめぐる物語です。
2007年7月、バグダッドで起きた攻撃
イラク戦争の開戦から4年後の2007年7月12日、バグダッドのニュー・バグダッド地区にあるアル・アミン・アル・サニヤ地区が、アメリカ軍のアパッチ攻撃ヘリコプターによる攻撃を受けました。
この攻撃は、市街地での軍事行動がどれほど危うく、住民を巻き込むリスクが高いかを象徴する出来事の一つといえます。
サジャドと4歳の妹、そして救出した兵士
攻撃の現場には、サジャドという少年と、その4歳の妹がいました。2人は重い状況の中でアメリカ兵に救出されます。その兵士の名前がイーサン・マッコードです。
混乱する現場で子どもたちを抱きかかえ、危険から遠ざけるという行動は、戦場という極限状態の中でも人間同士のつながりが存在することを示しています。
「利用された」と語る退役兵の後悔
それから長い年月がたった後、カメラの前でイーサン・マッコードは当時をこう振り返っています。
"I feel used, I feel used for being in Iraq… We should have never been there."
直訳すれば「自分は利用されたと感じている。イラクにいたことで利用されたと感じる……私たちはそこにいるべきではなかった」という意味です。
この言葉には、単なる個人的な後悔を超えて、戦争そのものへの疑問がにじみ出ています。命令に従い、現場で危険に向き合った兵士が、後になって「そもそもここに来るべきではなかった」と感じるとき、その葛藤は深いものになります。
兵士の視点から見るイラク戦争の重さ
戦争はしばしば、「国家」や「安全保障」といった大きな言葉で語られます。しかし、その現実を最も直接的に引き受けるのは、現場に立つ兵士と、市民としてその場に暮らしていた人々です。
- サジャドと4歳の妹のような、何の選択肢も持たない子どもたち
- 命令と良心の板挟みになるイーサン・マッコードのような兵士
イラク戦争の一場面であるこの出来事は、数字や年表では見えない「顔のある物語」として、今も問いを投げかけています。
2025年の私たちに突きつけられる問い
2007年の攻撃から18年近くがたった2025年の今、イーサン・マッコードの言葉は、戦争をどう記憶し、どう語り継ぐのかという問題を私たちに突きつけています。
国際ニュースを日本語で追う私たちにとって、この証言は次のような問いを投げかけているように見えます。
- 「正義」や「安全保障」の名の下で行われる軍事行動を、どのような基準で判断すべきなのか
- 戦争の議論に、現場の兵士や市民の声をどう位置づけるのか
- 映像や証言に触れたとき、自分自身はどのような感情や価値観を持っているのか
一人のアメリカ退役軍人のWe should have never been there(私たちはそこにいるべきではなかった)という言葉は、イラク戦争という過去の出来事にとどまらず、これからの国際社会における武力行使の是非を考えるうえでも、重い意味を持ち続けています。
ニュースを読むことは、遠くの出来事を「自分ごと」として考える入り口でもあります。サジャドと妹、そしてイーサン・マッコードの物語をきっかけに、戦争と平和について、自分なりの視点を持つことが求められているのかもしれません。
Reference(s):
cgtn.com








