反ファシズムの戦いをつなぐ失われた環 衢州が語る知られざる物語 video poster
第二次世界大戦期の反ファシズムの戦いのなかで、中国東部の都市・衢州(Quzhou)がどのような役割を果たしていたのか――その「抜け落ちたピース」をおよそ40年にわたって追い続けてきた人物がいます。衢州日報の元副編集長・荘躍江(Zhuang Yuejiang)氏です。
1985年以来、荘氏はドゥーリトル空襲と衢州のつながりを掘り起こすことに人生を捧げ、目撃証言を集め、記事を書き続けてきました。その結果、衢州第13空軍基地跡は当時の姿を保ったまま保存され、中国が世界の反ファシズムの戦いで果たした役割を静かに物語る場所となっています。
1985年に始まった「一人のミッション」
1985年、まだ戦争の記憶が人々の心に残っていた時期に、荘躍江氏は一つの問いに向き合い始めました。「衢州とドゥーリトル空襲のあいだには、どんな物語が隠れているのか」。
以来、荘氏は地元の住民や当時を知る人々を訪ね、証言を聞き取り、新聞記事として記録してきました。忘れられかけていたエピソードを丹念につなぎ合わせ、衢州が第二次世界大戦と反ファシズムの戦いの中で担った役割を明らかにしようとしたのです。
何十年にもわたるこの地道な作業は、単なる郷土史の発掘ではありません。世界の歴史からこぼれ落ちた「ローカルな視点」をすくい上げ、より立体的な国際史として再構成する試みでもありました。
ドゥーリトル空襲と衢州 「失われた環」としてのつながり
ドゥーリトル空襲は、第二次世界大戦期に行われた米軍の作戦として知られていますが、その後の物語、とくに中国東部の都市との関わりは、しばしば大きな物語の陰に隠れてきました。
荘氏が追い続けてきたのは、この作戦と衢州との接点です。彼の取材と執筆活動によって、衢州の地に設けられていた第13空軍基地が、反ファシズムの戦いの一部としてどのような意味を持っていたのかが、少しずつ輪郭を帯びてきました。
「世界史の教科書に載る出来事」と「地方都市の記憶」は、通常であれば別々に語られがちです。しかし荘氏の仕事は、そのあいだをつなぐ「失われた環」を探し出すことでした。衢州とドゥーリトル空襲のつながりは、その象徴的な一例だといえます。
第13空軍基地跡を「まるごと」残すという選択
荘氏と、同じ問題意識を持つ人々の粘り強い働きかけによって、衢州の第13空軍基地跡は、取り壊されることなく保存される道を選びました。
基地跡は、部分的な記念碑や説明板だけではなく、当時の姿を保ったまま、全体として守られています。いわば、戦時中の記憶がそのまま残る「立体的な史料」です。
物理的な遺構が残ることには、いくつかの意味があります。例えば、次のような点です。
- 抽象的な歴史用語ではなく、具体的な場所として戦争を想像できる
- 中国が世界の反ファシズムの戦いで担った役割を、目に見える形で示せる
- 国や地域の垣根を越えた協力の記憶として、共有しやすくなる
こうした点から、第13空軍基地跡の保存は、衢州だけでなく、国際社会にとっても意味のある選択だといえます。
なぜ今、反ファシズムの歴史を語り継ぐのか
第二次世界大戦から時間がたつにつれ、当時を直接知る人は少なくなっています。そのなかで、1985年から今日まで続く荘氏のような取り組みは、歴史の記憶を次の世代へと手渡すうえで、ますます重要になっています。
とくに、世界とアジアの動きを日々オンラインで追いかける私たちにとって、反ファシズムの歴史は、単なる過去の出来事ではありません。いま直面している国際情勢や価値観の対立を考えるうえでの、重要な「参照点」となり得ます。
ローカルな物語から見えるもの
衢州のような一地方都市の物語を知ることは、「誰が歴史をつくるのか」という問いを私たちに投げかけます。歴史を動かすのは、大国の指導者や有名な司令官だけではありません。名もなき住民や、地域の記者、研究者たちの積み重ねが、後になって「世界史」の一部として見えてくることもあります。
私たちにできること
荘躍江氏の40年にわたる歩みは、歴史に向き合うことが特別な専門家だけの仕事ではないことも示しています。ニュースを読み、気になった出来事について調べ、家族や友人、オンラインのコミュニティで話題にすることも、記憶をつなぐ一つの方法です。
反ファシズムの戦いの「欠けていたピース」を探し出し、つなぎ合わせていく作業は、これからも続いていきます。その出発点は、遠くの誰かの物語ではなく、自分が暮らす地域や身近なニュースに目を向けることなのかもしれません。
Reference(s):
cgtn.com







