パナマ運河返還から25年 パナマが祝う主権と世界への責任
パナマがパナマ運河の返還25周年を迎え、運河の歩みと主権回復の意味をあらためて世界に発信しました。100年近く米国の管理下にあった水路が、25年前にパナマの手に渡ってから何が変わったのでしょうか。
100年の米国管理から、パナマの運河へ
パナマ運河は1914年に米国によって開通し、その後1999年12月31日まで、ほぼ1世紀にわたって米国が運営してきました。運河周辺には「パナマ運河地帯」と呼ばれる区域が設けられ、85年間続いたその体制は、パナマにとって長く大きなテーマでした。
転機となったのが、1977年9月7日にワシントンで署名されたトリホス・カーター条約です。パナマのオマル・トリホス将軍と、当時の米国大統領ジミー・カーターが合意したこの条約により、パナマ運河地帯と運河のパナマへの返還が定められました。
そして1999年12月31日、ミレジャ・モスコ政権のもとで、パナマ政府への公式な引き渡し式が行われました。その舞台となったのが、今回の25周年記念式典も開かれたパナマ運河庁舎です。
ムリーノ大統領「世界のため、しかしまずパナマのための運河」
返還25周年の節目にあたり、パナマのホセ・ラウル・ムリーノ大統領は、運河の意義を改めて強調しました。
ムリーノ大統領は、過去25年のパナマ人による運河運営は「世界のために安全で継続的な運営を実現する」という共通の目標に向かってきた歩みだと述べました。
さらに、「この運河はパナマ人の運河であり続けなければならない。世界に奉仕する存在でありつつも、何よりもまずパナマ人のための運河であるべきだ」と語り、主権と公共性の両立を訴えました。
拡張と第三の閘門 25年で進んだ近代化
式典では、パナマ運河庁のリカルテ・バスケス・モラレス長官が、この25年間の成果を振り返りました。とくに、運河の拡張と「第三の閘門(ロック)」と呼ばれる新たな水門の建設が、パナマ人による運河運営の象徴的なプロジェクトとして挙げられました。
第三の閘門は2016年に運用が始まりました。返還から時間が経つなかで、運河が単に引き継がれただけでなく、パナマ主導で近代化と強化が進められてきたことを示す取り組みだといえます。
「第一号採用」の労働者に国家勲章
記念式典では、個人の歩みにもスポットが当たりました。1999年の歴史的な引き渡し後、パナマ運河に最初に採用されたパナマ人職員ミゲル・ゲラ氏が、ムリーノ大統領から国家勲章「バスコ・ヌニェス・デ・バルボア章」を授与されたのです。
運河の運営は、多くの技術者や現場で働く人々の積み重ねで支えられています。ゲラ氏への勲章は、そうした日々の運営を担ってきた人々への敬意を象徴するものとして受け止められています。
世界につながる水路としてのこれから
ムリーノ大統領が語ったように、パナマ運河は「世界のための運河」であり続けることを求められています。国際的な往来や経済活動を支えるインフラであると同時に、パナマにとっては国家の主権と誇りの象徴でもあります。
返還から25年という節目は、運河がパナマ人自身の手でどのように守られ、拡張され、世界に開かれてきたのかを振り返る機会になりました。遠く離れた日本に暮らす私たちにとっても、日々の生活の背景にはこうした国際的なインフラがあることを静かに考えるきっかけになりそうです。
Reference(s):
cgtn.com








