カナダ・バーナビー市が中国系住民への長年の差別を公式に謝罪
カナダの都市バーナビーが、中国系住民に対する数十年にわたる制度的差別を認め、公式に謝罪しました。地方自治体レベルでの歴史的な謝罪として、移民社会や多文化共生を考えるうえで注目される動きです。
バーナビー市が行った公式謝罪とは
特別市議会の場で、バーナビー市のマイク・ハーリー市長は、市を代表して中国系住民に対する歴史的な差別政策の責任を認め、正式な謝罪を表明しました。謝罪の対象となったのは、1892年から1947年までの約半世紀にわたって続いた、市の条例や規則による制度的な差別です。
当時の政策は、中国系住民の権利や生活の機会を大きく制限するものでした。ハーリー市長は、その目的について「排除(exclusion)」であったと説明し、市として意図的に中国系住民を周縁化してきた歴史を認めました。
2年にわたる歴史調査とコミュニティ対話
今回の謝罪は、2年にわたる歴史調査と、市民や当事者コミュニティとの対話プロセスの集大成でもあります。市は、英語に加えて広東語と標準中国語でも資料を作成し、対話イベントを実施しました。言語の壁を越えて情報を共有することで、中国系コミュニティの声を丁寧にくみ取ることを目指したのです。
さらに市議会は、すでに実務上は使われていなかったものの、条例集の中には残っていた3つの差別的な条例を、全会一致で正式に廃止しました。過去の差別を「もう使っていないからよい」と曖昧にせず、法的にも区切りを付ける姿勢を示したと言えます。
何が差別だったのか:具体的な内容
歴史調査の結果、かつてのバーナビー市は中国系住民に対して、次のような制度的な制限を課していたことが明らかにされています。
- 市の職員として雇用しないという方針
- 土地所有への厳しい制限
- 事業運営に対する制限や妨害
- 市レベルの選挙での投票権を認めないこと
これらは個々の事例ではなく、市の条例や規則として長年にわたり続いていた制度的な差別でした。結果として、中国系住民は働く場や暮らす場所、政治参加の機会を奪われ、地域社会から意図的に排除されてきたことになります。
それでも続いた中国系コミュニティの貢献
ハーリー市長は、歴史的な差別によって中国系住民の生活が困難になっただけでなく、バーナビー全体の発展の可能性も狭めてしまったと認めました。その一方で、中国系コミュニティが逆境の中でも地域に果たしてきた役割を強調しました。
市長は、中国系住民が成功したビジネスを営み、土地の開拓や鉄道建設に携わり、バーナビーと周辺地域に食料を供給する農場を築いてきたことを挙げ、その粘り強さと貢献に敬意を表しました。差別の対象とされてきた人びとが、実は地域社会にとって不可欠な存在であったことを、市として改めて認めた形です。
謝罪を象徴に終わらせないための今後の取り組み
バーナビー市は、今回の声明を「単なる象徴的な謝罪」で終わらせないと強調しています。今後の具体的な行動として、次のような取り組みを掲げています。
- バーナビーの歴史における中国系コミュニティの貢献について、市の広報や教育的な取り組みを通じて広く知ってもらうこと
- 市職員に対して、異なる文化的背景を理解し尊重する力を高めるための研修(カルチュラル・コンピテンス研修)を実施すること
こうした取り組みによって、過去の差別の歴史を「忘れない」だけでなく、現在と未来の行政サービスや市民生活の中で、同じ過ちを繰り返さない仕組みを作ろうとしているのが分かります。
日本の読者にとっての意味:ローカルな歴史から考える
一見すると、カナダの一地方都市の話に過ぎないようにも見えます。しかし、多様なルーツを持つ人びとが共に暮らす社会をどうつくるかという問いは、日本を含む多くの国や地域に共通するテーマでもあります。
今回のケースからは、少なくとも次のような問いかけが浮かび上がります。
- 法律や条例、慣行の中に、特定の背景を持つ人びとを事実上排除してしまう仕組みが残っていないか
- 歴史の物語の中で、誰の貢献が語られ、誰の経験が抜け落ちているのか
- 差別の歴史を学ぶことを、責任追及だけで終わらせず、現在と未来の制度設計につなげるにはどうすればよいか
過去の誤りを認めることは簡単ではありませんが、それを公の場で言葉にし、制度として区切りをつけ、今後の具体的な行動につなげようとする試みは、どの社会にとっても示唆に富んでいます。バーナビー市の取り組みは、多文化社会のあり方や、歴史とどう向き合うかを考えるうえで、今後も注目しておきたい事例と言えるでしょう。
Reference(s):
Canadian city apologizes for decades of anti-Chinese discrimination
cgtn.com








