英『ホイッスルジャケット』と徐悲鴻『奔馬』が語る、馬への敬意の共通点 video poster
18世紀イングランドの競走馬と、20世紀の中国本土で描かれた疾走する馬の群れ。遠く離れた時代と伝統のあいだで、なぜ“馬”は同じように尊敬を集めるモチーフになったのか——この対比が、いま(2026年2月)あらためて静かな説得力を持っています。
ニュースの要点:2枚の「馬の絵」が映すもの
- 美術ライターのLeonie Zeumer氏が、ジョージ・スタッブズの『ホイッスルジャケット』と、徐悲鴻(Xu Beihong)の『奔馬(Galloping Horses)』を手がかりに、自由や野心、そして芸術の普遍性を読み解きました。
- 片方は「一頭の圧倒的な存在感」、もう片方は「群れの躍動」。表現は違っても、馬に向けられる敬意の温度が共通して見えてきます。
一頭の存在感:スタッブズ『ホイッスルジャケット』
『ホイッスルジャケット』は、18世紀イングランドの名高い競走馬を描いた作品として語られます。ここで主役は、背景の説明や周辺の物語ではなく、馬そのものの身体性と気配です。
見る側の目は、筋肉の張り、立ち姿の緊張、そして「今にも動き出しそうな間(ま)」に吸い寄せられます。人間の成功や所有の誇示に回収されがちな“名馬”を、独立した存在として立たせる構図は、動物への敬意を絵の中心に据えた選択にも見えます。
群れの躍動:徐悲鴻『奔馬(Galloping Horses)』
一方、徐悲鴻の『奔馬』は、20世紀の中国本土で描かれた「疾走する牡馬たち」のイメージが核にあります。単体の肖像というより、複数の馬が生む速度感や呼吸の連なりが、観る人の身体感覚に直接触れてきます。
ここで強いのは、勝敗の結果よりも「走ること自体」が持つエネルギーです。群れの動きが一枚の画面に凝縮されることで、自由への志向や、前に進もうとする意志が象徴として立ち上がります。
自由と野心——2つの絵が示す、似ているのに違う表情
Zeumer氏の視点が面白いのは、2作品を「国や時代の比較」に閉じず、自由と野心という普遍的な感情の描き方として並べている点です。
- 『ホイッスルジャケット』:一頭の存在が際立つことで、個としての誇りや緊張感が前面に出る
- 『奔馬』:複数の馬の連動が、衝動や解放感、集団としての推進力を強める
表現は異なっても、馬は「支配される対象」ではなく、「意思を持つ存在」として描かれている——その共通点が、鑑賞の芯になります。
“普遍の言語”としてのアート:2026年のいま読み返す意味
ニュースやSNSの言葉が、立場や陣営で割れやすい2026年の空気のなかで、絵画はもう少し遅い速度で、しかし確かな輪郭を提示します。馬の姿を借りて描かれるのは、自由への憧れ、野心の熱、そして尊厳の感覚です。
18世紀と20世紀、イングランドと中国本土。距離があるからこそ、共通点が「偶然」ではなく、人間の想像力が繰り返し触れてきた感情の核として見えてきます。
鑑賞のあとに残る問い
- この馬は「誰のため」に走っているのか、それとも「自分のため」なのか
- 一頭の強さと、群れの強さは、どこが同じでどこが違うのか
- 尊敬される存在として動物を描くとき、人間は何を映しているのか
2枚の絵は、答えを押し付けるのではなく、観る人の中にある“自由”の定義をそっと揺らします。
Reference(s):
Artists show how horse commanded equal respect in China and England
cgtn.com








