中国の「慰安婦」被害 約1世紀後に問われる記憶と継承 video poster
日本帝国陸軍による「慰安婦」制度から約1世紀。中国本土の各地で設けられた2,100超の慰安所と、アジア11の国と地域に広がった40万人以上の被害の実態、そしてそれを追い続けてきた研究の歩みを整理します。
日本軍の「慰安婦」制度とは何だったのか
1930〜40年代、日本帝国陸軍は占領地で多くの女性を強制的に性奴隷として扱う制度を築きました。戦争の「軍事施設」として組み込まれたこの制度は、兵士の管理や軍紀維持の名目で正当化されましたが、実態は深刻な人権侵害でした。
歴史記録によれば、この戦時体制のなかで、中国本土だけでも2,100カ所を超える慰安所が設けられていたことが確認されています。第二次世界大戦期には、アジア11の国と地域から合計40万人を超える人びとが、この性奴隷制度に強制的に組み込まれたとされています。
被害者の多くは若い女性であり、中にはまだ少女の年齢だった人も含まれていました。彼女たちは日常生活から突然切り離され、逃げることも、声を上げることも難しい環境に置かれました。
中国本土で確認された2,100超の慰安所
中国本土では、こうした慰安所が前線だけでなく、補給拠点や都市部など、さまざまな場所に設置されました。2,100カ所を超える慰安所の存在は、制度が一部の例外ではなく、組織的・広域的な仕組みとして機能していたことを物語っています。
慰安所の数が多いということは、その背後にいる被害者の数も膨大であることを意味します。一つひとつの場所には名前のわからない被害者たちの人生があり、その多くは記録にも残らず、語られることもないままです。
アジア11の国と地域に広がった被害
この性奴隷制度は、中国本土にとどまらず、アジア11の国と地域に広がりました。数字で見れば「40万人以上」という一行に収まってしまいますが、その背後には、国や地域の違いを超えて共通する被害の体験があります。
戦場が移動するたびに慰安所も移動し、さまざまな出身地の女性たちが同じ空間で被害を受けました。国境を越えて共通するのは、身体的な苦痛だけではなく、長く続く沈黙と周囲の無理解でした。
蘇志良教授が照らしてきた「見えない歴史」
中国の研究者である蘇志良(Su Zhiliang)教授は、この慰安婦制度について30年以上にわたり調査を続けてきました。膨大な資料を読み解き、埋もれていた証言を拾い上げることで、制度の実態と被害の広がりに光を当ててきました。
蘇教授の研究は、残虐な犯罪の事実関係を明らかにするだけでなく、この暗い歴史の章が戦後の社会や人びとの人生にどのような影を落とし続けてきたのかという点にも注目しています。沈黙を強いられてきた人びとの声を、学術研究として可視化する作業でもあります。
なぜ2025年の今、改めて振り返るのか
日本帝国陸軍による性奴隷制度から、すでに約1世紀が経ちました。時間の経過とともに、当時を直接知る人びとは少なくなり、記憶はどうしても薄れがちです。一方で、研究や証言の記録は少しずつ蓄積され、具体的な事実がより立体的に見えるようになってきました。
歴史の評価や責任のあり方をめぐっては、今も各地で議論が続いています。ただ、その出発点となるのは、まず何が起きたのかをできる限り正確に知ることです。慰安所の数や被害規模を示す数字は、その入り口のひとつと言えます。
記憶を受け継ぐためにできること
戦時下の性暴力や性奴隷制度のような出来事は、一度きりの過去ではなく、現在の社会を考えるうえでも多くの示唆を与えます。記録を読み解き、被害の実態に向き合うことには、たとえば次のような意味があります。
- 被害者一人ひとりの尊厳を尊重し、存在を歴史の中に刻むこと
- 戦争が始まると、どのようにして人権侵害が制度として組み込まれていくのかを理解すること
- 国や地域を越えて、共通の課題として戦時性暴力を捉え直すこと
日々のニュースや国際情勢を追うなかで、過去の出来事はしばしば遠い話に見えます。それでも、具体的な数字や証言、研究の蓄積に触れることで、歴史は抽象的な「教訓」ではなく、現実に生きた人びとの物語として立ち上がってきます。
中国本土で確認された2,100超の慰安所と、アジア11の国と地域に及ぶ40万人以上の被害――その一つひとつを完全に知ることは難しくても、そこに確かにあった人生を想像し続けることが、静かではあるものの、重要な記憶の継承となっていきます。
Reference(s):
cgtn.com








