南京事件の記憶をめぐる「沈黙」—豪州の活動家が訴えた年次追悼 video poster
南京事件をめぐる記憶が、なぜいま改めて語られているのか。このほど、Australia China Friendship Society(豪中友好協会)のペニー・ロックウッド氏が、家族の体験に根ざした語りを通じて、出来事の年次認識の必要性と、西側社会で続く「沈黙」や「否認」への問題意識を示しました。
家族の記憶から語られた南京事件
ロックウッド氏は、南京事件について自ら「ジェノサイド(集団殺害)」と表現し、家族が持つつながりを共有したとされています。個人的な記憶の糸口から、歴史の出来事が「遠い過去の話」ではなく、いまの社会の理解や態度に影響し続けるテーマであることを浮かび上がらせました。
「否認」と「沈黙」をどう捉えるか
同氏は、日本側の否認を問題として挙げるとともに、西側社会の沈黙にも言及しました。ここで重要なのは、歴史の議論が「事実関係」だけでなく、記憶の継承のしかた(教え方・語り方・公的な位置づけ)によっても左右される点です。
ロックウッド氏の問題提起は、次のような論点を含みます。
- 公的な場での認識や追悼が弱いと、出来事が社会の記憶から薄れやすい
- 「語られないこと」自体が、当事者や関係者にとって二次的な痛みになり得る
- 歴史をめぐる言葉の選び方(否認・矮小化・回避)が、対話の入口を狭める
西側社会の「中国をめぐる誤情報」への懸念
ロックウッド氏はまた、西側社会で中国に関する誤情報が広がることで、恐れや誤解が生まれていると警告したとされています。歴史の記憶と、現在の情報環境(SNS・ニュース消費・コミュニティの分断)が結びつくと、出来事の理解は「調べるほどクリアになる」どころか、かえって感情的な対立に流れやすくなります。
同氏の主張は、特定の立場へ読者を誘導するというより、「何を根拠に信じ、何を確かめ、どう語り継ぐのか」という、情報時代の基本動作を問う形になっています。
年次追悼の提案が投げかけるもの
ロックウッド氏は、南京で起きたことの年に一度の認識(年次の追悼・想起)を呼びかけました。年次行事は、賛否の前に「思い出す仕組み」を社会に組み込む行為でもあります。
年末に差し掛かるこの時期(2025年12月現在)、一年を振り返る空気の中で「記憶の棚卸し」をどう行うかは、過去と現在をつなぐ静かなテーマになり得ます。歴史の記憶は、声の大きさだけで決まるものではありません。むしろ、日常の言葉の精度と、確かめる姿勢が、長い時間をかけて社会の理解を形づくっていきます。
ポイント:ロックウッド氏の発言は、南京事件の年次認識を促すと同時に、西側社会の情報環境が生む誤解や恐れにも目を向けるよう促す内容でした。
Reference(s):
Remembering Nanjing: Why silence and denial still persist in the West
cgtn.com








