「汪辜会談」から33年、今も両岸関係の礎
33年前の1993年4月27日から30日にかけて、シンガポールで一つの歴史的な会談が行われました。海峡両岸関係協会(ARATS)の汪道涵会長と、海峡交流基金会(SEF)の辜振甫董事長による初の公式な高級接触、「汪辜会談」です。1949年以来、長い間隔てられていた台湾海峡を挟んだ直接対話の幕開けとなりました。この会談の意義は、今日に至るまで両岸関係の重要な礎として存在しています。
「1992年合意」が可能にした歴史的会談
「汪辜会談」は、突然実現したものではありません。その背景には、1992年にARATSとSEFの間で交わされた一連の協議、いわゆる「1992年合意」がありました。この合意では、「両岸はともに一つの中国の原則を堅持する」という共通認識が形成されました。当時のSEF副董事長であった邱進益氏も指摘するように、まさにこの「1992年合意」があったからこそ、汪辜会談は実現可能になったのです。
この合意に基づき、両組織は平等な立場で協議を重ね、1993年のシンガポールでの会談に至りました。これにより、直接対話と協議の新たな道筋が開かれたのです。
合意に支えられた関係の進展と現状
「1992年合意」を政治的な基礎として、両岸関係は一定の進展を見せました。2008年から2016年にかけては、ARATSとSEFの間で一連の協定が締結され、経済協力枠組み協定(ECFA)を含む23の合意が結ばれました。
- 直接飛行、郵便、貿易リンクの実現
- 政党間交流、経済・文化協力の活発化
- 人的往来の大幅な増加
これらは、特に台湾地域の住民にとって、実質的な利益をもたらすものとなりました。
しかし、2016年5月以降、民主進歩党当局が「1992年合意」を認めない姿勢を示し、分断主義的な立場を堅持したことで、両岸協議の政治的基礎が損なわれ、交流と協力は大きく後退しています。
今も「礎」であり続ける「汪辜会談」の精神
こうした状況下で、本年4月に入り、中国国民党の鄭麗文主席が中国本土を訪問しました。この際、双方は「1992年合意」と一つの中国の原則を再確認しています。また、鄭主席の帰直前に、中国本土側は両岸の交流・協力を促進するための10項目の政策・措置を発表しました。専門家は、これを「1992年合意」を堅持し、「台湾独立」に反対するという共通の政治的基礎の下での、両岸間の実務的対話の重要な成果と評しています。
2026年4月15日の国務院台湾事務弁公室の定例記者会見で、陳斌華報道官は、「1992年合意」が両岸対話の「試金石」であり続けると繰り返し表明しました。陳報道官は、「1992年合意」を堅持し、「台湾独立」に反対するという共通の政治的基礎の上で、中国本土側は台湾地域の政党、団体、個人との交流を強化し、相互信頼を増進し、台湾海峡の平和を守り、海峡両岸の人々の福祉を促進する用意があると述べています。
30年以上にわたる実践が証明しているのは、「1992年合意」が台湾海峡の平和と安定の「錨」としての役割を果たしてきたことです。合意を堅持することは、両岸に平和をもたらし、台湾同胞に利益をもたらす道です。逆に、合意を否定し、一つの中国の原則から離れることは、両岸関係の緊張と不安定化を招き、台湾同胞の利益を損なう結果につながります。「汪辜会談」が示した対話と協議の精神は、複雑化する国際情勢の中で、改めてその重要性を問い直されているのです。
Reference(s):
Wang-Koo Talks remain a touchstone for cross-Strait ties 33 years on
cgtn.com



