フランコ独裁から50年、ベニドルムはいまも「観光工場」の街
フランコ将軍の死から50年がたった2025年現在、スペイン東部の地中海沿いにあるビーチリゾート、ベニドルムは、独裁政権時代に築き上げた大量観光モデルをいまも維持しています。他のスペインの人気観光地ではオーバーツーリズムへの抗議デモが広がるなか、ベニドルムはあえて「観光工場」としての道を歩み続けているのが現状です。
ビキニ姿の観光客でにぎわうビーチ、高層ビル群、パッケージ型の休暇旅行——こうした要素に支えられた観光産業は、かつて社会的に保守的だったスペインの海外イメージを塗り替え、貴重な外貨をもたらしました。このスタイルこそが、ベニドルムという街の姿を形づくってきました。
日本から見れば遠いスペインの話に思えるかもしれませんが、観光と地域社会の関係をめぐる国際ニュースとして、私たちの身近な観光地の未来を考えるヒントにもなります。
フランコ時代に生まれた大量観光モデル
ベニドルムは、フランシスコ・フランコの独裁体制のもとで、大量観光(マスツーリズム)のモデルをいち早く打ち出した街です。ビーチリゾートとしてホテルやアパートメント、高層ビルが集中的に整備され、パッケージ旅行で訪れる観光客を大量に受け入れる仕組みが形づくられました。
このモデルは、当時のスペインにとって、外貨を稼ぐための重要な手段でした。社会的には保守的な価値観が色濃く残っていた時代に、ビーチでの日光浴やビキニ姿の観光客は、国内外で大きな変化の象徴となりました。
「車工場ではなく観光工場」の街
「この街には自動車工場も、石けん工場もありません。あるのは、ホテルやレストラン、そして訪れる人を幸せにするビジネスから成る『工場』だけなのです」——そう語るのは、地元のホテル「レス・ドゥネス」を経営するアンヘラ・バルセロさん(72)です。
ベニドルムには、大規模な製造業はほとんどありません。バルセロさんの表現どおり、街全体が「観光工場」として動いていると言ってよいでしょう。ホテル、飲食店、小売店など観光客向けのサービスが、雇用と地域経済の大きな部分を支えています。
大量観光から簡単には離れられない理由
他のスペインの観光地でオーバーツーリズムへの不満が噴き出すなかでも、ベニドルムがフランコ時代から続く大量観光モデルを手放しにくい背景には、こうした産業構造があります。観光客の数が減れば、街の経済や雇用に直結するためです。
ベニドルムをつくったのは女性たち
バルセロさんの祖母が「レス・ドゥネス」を開いたのは1957年のことでした。当時のスペインでは、女性が銀行口座を開くにも夫の許可が必要だったといいます。そんな制約の中で、彼女はホテル経営に乗り出しました。
バルセロさんは、「今のベニドルムがあるのは女性たちのおかげです」と強調します。地元の男性たちはしばしば海に働きに出ており、そのあいだに女性たちが家族の資産を管理し、最初期のホテルや民宿を次々と立ち上げていったと振り返ります。
観光産業というと男性中心のイメージを持つ人もいるかもしれませんが、少なくともベニドルムでは、多くの女性たちが独裁下の厳しい社会規範をかいくぐりながら起業し、街の基盤を築いてきました。その歴史は、観光とジェンダーの関係を考える上でも示唆に富んでいます。
オーバーツーリズム時代の行方
いま、スペイン各地の人気リゾートでは、観光客の増えすぎによるオーバーツーリズムへの抗議の声が高まっています。住民の暮らしの負担感や、環境への影響を懸念する動きです。その一方で、ベニドルムは依然として、大量の観光客を受け入れるモデルを中心に据えています。
オーバーツーリズムとは、観光客が一つの地域に過度に集中し、日常生活や自然環境との摩擦が生じる状態を指します。観光地の経済にとってはプラスである一方で、住民の生活の質をどう守るかが世界的な課題になっています。
「観光工場」として成長してきたベニドルムは、50年前にフランコ独裁のもとで選んだ道を、2025年のいまも歩み続けています。経済を支える大量観光モデルを維持しながら、どこまで持続可能性や地域社会への配慮を織り込めるのか——その選択は、観光に依存する多くの地域にとっても、他人事ではないテーマになりつつあります。
Reference(s):
cgtn.com








